ホーリー 第一部
それから、少年はロミーの駆る驢馬車に乗って、家路についた。けっきょくロミーは酔っ払っていたわけではなかったので飲酒運転にはならなかった。いや、あくまで呑んでいたのはキャロットジュースだから、どちらにしてもそうはならないのだけれど。というか、こっちの世界には“お酒”はなかったか。言うなれば、飲魔法の水運転か。まったく、まどろっこしい話だ。
驢馬車が魔法樹の館につく頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。ロミーは、さっきカフェで神妙なことを云っていたのなんかまるでなかったという風に、いつもの調子のいい感じで少年にお別れを云うのだった。ちょうどこんな感じに。
「ではでは、ロロくんロロくん!魔法樹の館に無事到着しましたぞ!」
「うむうむ、ありがとうロミーくん!褒めて遣わそうぞ、ロミーくん!」
「いやはや、けっこうけっこうコケコッコー!カラスがカーカー鳴くからにゃあ、わがはい帰りまするぞ!」
「ふむふむ、しかしてカラスがにゃあにゃあ泣いたにゃら??」
「お~っと、こいつはこいつはロロ吉くん!話の腰を折ろうたって、そうは行きゃあせん!それではアディオス・アミーゴ!またのご乗車をば!!」
まったく、むだに調子がいい。こっちまで乗せられてしまうや。と、少年はいつもどおりにそんなことを想うのだった。
ロミーと別れてから、魔法樹の館の門をくぐろうとした。すると、背後から、いかにも眠たそうな、気の抜けた声が聞こえてきた。
「ふわぁ~あ。や~っと帰ってきたか、ロロくん。お昼からず~っと待ってたんだぜぇ。お昼寝しながらねぇ」
うしろを振り向くと、白衣を着た、眠たそうなおっさんが立っていた。口からちょろんっと、先の割れた舌を出して、白衣のうしろからはうろこの生えたしっぽを生やしていた。トカゲの亜人さんかな、と少年は思った。
「えっと、あなたは、だれですか??」
「う~ん、そうさねえ、俺のことはドクって呼んでくれよ。それより、今、どうなってんの??ったく俺もどんだけ寝てたんだか。信じらんねぇ、、ふぁあ、、、」
トカゲのおっさんは、ぼさぼさのあたまを掻き毟りながら、あくまで眠たそうに、すこし呆れたような様子をした。
「う~ん、ドクさん?毒酸??言ってることがよく、わかんないんだけど??」
首をかしげて、不思議そうに少年は尋ねた。なぜだか嫌な心地はしなかった。知らないはずなのに、懐かしい気持ちにさせてくれるおっさんだったから。
「くぅ~っ、いいねぇ!マッドだねえ!毒酸ッッ!!それでイこうや!そいつで呼んでオクレ!!」
「ドクさんと呼ばせてください」
うわぁ、このお方もですかー。と少年は思うのだった。でも、やっぱりその感触がなんだか懐かしかった。うれしかった。仔犬のように人懐っこい少年は、早くもこのおっさんに対して心をゆるしはじめていた。
「ま、俺も寝ぼけてっからねぇ。訊き方がちぃっと悪かったかいな。いやさね、ロロくん、今日はピノちゃんのおうちに行ってきたんだよね??」
「え、うん、、そうだけど、、、」
「ふぁ~、やっぱりかぁ。そんで、ピノちゃん、、どうだった??」
「う~ん、、とりあえず今は落ち着いてて、でもさっき悪魔が生まれて、蜘蛛の巣がペリペリって剥がれて、ピノはぐるぐる巻きになっていて、黒い霧が、ピノはゴミ捨て場でからっぽで。とりあえずは、うさこちんとちびうさががんばってくれたんだよ!」
あれ?どうしたんだろう、と少年は思った。気がつけば、まるで年の離れたお兄ちゃんにその日の出来事を報告するみたいに、矢継ぎ早に、安直に、支離滅裂なことばを畳み掛けていた。そもそも、こんなことばじゃなんにも伝わらないだろうと少年は思うのだった。
「う~ん、、ふ~ん、、、」
それでも、トカゲのおっさんは、左手で何か想像上の媒体を操作しながら、なにか難しそうな思案に耽るのだった。
「ま、きみもがんばったんだね」
しばらくして、様々な考えがあたまの中でようやくまとまったのか、ちいさな丸めがねをくいっとしながら言う。
「いや、ぼくはなんにも、、、」
「ふ~ん、そんならそれでいいや。ま、きみは自信を持てようが持てまいが、君の意志によく耳を傾けてりゃあいいんだからねぇ。じぶんからにしろ、他人からにしろ、評価で行動が変わるようじゃあ、しょうもないからねぇ。ふぅあ、、ぅ」
「う~ん、なんだか難しそうな話だね。それって」
だって、人はいつだって他人に認められたい。じぶんでだって、じぶんを肯定したい。それがなければ、なにごともつづけていくことは難しいんじゃないか、と少年は思った。
「あのね、ロロくん。またぞろ、きみはじぶんにできることはないんだとか思っちゃってるんじゃないかな。心配しないでも、あるよ、できることはさ。ま、そのうちそれと向き合うことになるだろうよ。なんにせよさ、きみはね、今すごく大きな問題に直面してるんだぜ」
「できる、ことかぁ。それでも、あんな得体の知れない敵、どうしたらいいか、、、」
「“敵”ねえ。その考え方はあんまりよろしくないね。ありゃ皺みたいなもんだ。不条理そのものの塊みたいなものだ。マクロな流れの、人工的な吹き溜まりってのかね。ま、おまえさんの言う“敵”は確かに巨大だ。そのうえ広大で無尽蔵だ。そうさね、まず、きみは世界の秘密について知る必要があるね」
「世界の秘密か。それはどうやって知ればいいのかな??」
「ま、それは“彼”に任せておけばいいのかな。それでことたりるわけだろ?“きみたち”の場合は。きみにはきみのやるべきことがある。きみは、きみの意志がほんとうにしたいと想うことを、いつだって素直に、誠実に貫けばいいのだよ。“きみたち”はべつにひとつってわけじゃない。心はべつべつの場所に向かっていくはずだろ?だから、そこはそれ、ちゃっかり効率よく分業しなくっちゃね」
「う~ん、言いたいことは、わかるのだけど。観念としてはね。けれど、実際にどうすればいいのかわからないから、“ぼくら”は、困っているんだよ」
「ふぅあぅ、、、ま、そんなとこだろうね。じゃ、おじさんがあえてヒントを出してやろうか。きみは絡まった蜘蛛の糸をほどく呪文を知っているかい?そのうち、きみは旅に出ることになるはずだぜ。東でも西でも北でも南でもない、何処でもあって、何処でもない、そんな場所を探す旅に出るはずだ。それがきみの、それからピノちゃんやあの賢者うさぎたちの大冒険の入り口にもなるんだぜ。ああ、これはべつに“予言”なんかじゃないぜ。ただのあてずっぽうさ。ま、俺のあてずっぽうはよく当たるがね。なにせあのとき、クソ胸糞悪ぃ裏技を使っちまったからなぁ~。だから失敗するわけにも行かねえし、そりゃ老婆心も通り越して、言わねえでいいことまで言っちまうわな。ったく、こんな饒舌、まったくもって性にあわねぇ。とにかくな、俺は俺が俺に課した使命を果たすぜ。意地でもな。だからおまえもがんばれ。俺のために」
「ううん、ドクさん。ぼくががんばるとしたら、それはぼく自身のためだよ。ピノのためですらない。ましてやドクさんのためなんかじゃ、絶対ない。それはぼく自身の“想い”のためだよ」
「ははっ、おじさん、一本とられちゃったね。それに、なかなかいい目をしてるぜ、今のきみ。ま、そんだけ啖呵きれりゃ上等さね。期待してるぜ~」
一本とられた、か。ほんとうに、人を食ったようなところのあるおっさんだ、と少年は思った。まわりくどい話しぶりは、霧のせいというのもあるのだろうけれど、むしろそういう韜晦癖のようなものをもとより持ち合わせているのだろう、と思った。それでも少年には、そんなうさんくささも、めんどくささも、その奥に、いい加減にチラつかせている妙な熱っぽさも、すべてが慕わしく想えるのだった。
「あ~、おじさんの減らず口でもうひとこと。あのな、ロロくん、“想い”が重ければ重いだけ、人はいろいろとまぁグズついちまうものだけど、もしその“重さ”をまっすぐ背負えるだけの背中が育ったなら、もうなにも恐いもんはねえはずだぜ。そうやって何処までだって往っちまえよ。それが“光る”ってことだろ?“笑う”ってことだろ?少年よ、きみはまだちいさい。呆れるほどに。でもそれはな、まだまだ大きくなれるんだってことでもあるんだぜ。いつかきみがほんとうに笑うのを俺はみてみたいぜ?ま、適当に期待してるからよ。じゃ、な。ふぅぁ~、、ぅ」
振り返りざまにそう云って、眠たそうなトカゲのおっさんはそのまま森の中へと消えていった。
驢馬車が魔法樹の館につく頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。ロミーは、さっきカフェで神妙なことを云っていたのなんかまるでなかったという風に、いつもの調子のいい感じで少年にお別れを云うのだった。ちょうどこんな感じに。
「ではでは、ロロくんロロくん!魔法樹の館に無事到着しましたぞ!」
「うむうむ、ありがとうロミーくん!褒めて遣わそうぞ、ロミーくん!」
「いやはや、けっこうけっこうコケコッコー!カラスがカーカー鳴くからにゃあ、わがはい帰りまするぞ!」
「ふむふむ、しかしてカラスがにゃあにゃあ泣いたにゃら??」
「お~っと、こいつはこいつはロロ吉くん!話の腰を折ろうたって、そうは行きゃあせん!それではアディオス・アミーゴ!またのご乗車をば!!」
まったく、むだに調子がいい。こっちまで乗せられてしまうや。と、少年はいつもどおりにそんなことを想うのだった。
ロミーと別れてから、魔法樹の館の門をくぐろうとした。すると、背後から、いかにも眠たそうな、気の抜けた声が聞こえてきた。
「ふわぁ~あ。や~っと帰ってきたか、ロロくん。お昼からず~っと待ってたんだぜぇ。お昼寝しながらねぇ」
うしろを振り向くと、白衣を着た、眠たそうなおっさんが立っていた。口からちょろんっと、先の割れた舌を出して、白衣のうしろからはうろこの生えたしっぽを生やしていた。トカゲの亜人さんかな、と少年は思った。
「えっと、あなたは、だれですか??」
「う~ん、そうさねえ、俺のことはドクって呼んでくれよ。それより、今、どうなってんの??ったく俺もどんだけ寝てたんだか。信じらんねぇ、、ふぁあ、、、」
トカゲのおっさんは、ぼさぼさのあたまを掻き毟りながら、あくまで眠たそうに、すこし呆れたような様子をした。
「う~ん、ドクさん?毒酸??言ってることがよく、わかんないんだけど??」
首をかしげて、不思議そうに少年は尋ねた。なぜだか嫌な心地はしなかった。知らないはずなのに、懐かしい気持ちにさせてくれるおっさんだったから。
「くぅ~っ、いいねぇ!マッドだねえ!毒酸ッッ!!それでイこうや!そいつで呼んでオクレ!!」
「ドクさんと呼ばせてください」
うわぁ、このお方もですかー。と少年は思うのだった。でも、やっぱりその感触がなんだか懐かしかった。うれしかった。仔犬のように人懐っこい少年は、早くもこのおっさんに対して心をゆるしはじめていた。
「ま、俺も寝ぼけてっからねぇ。訊き方がちぃっと悪かったかいな。いやさね、ロロくん、今日はピノちゃんのおうちに行ってきたんだよね??」
「え、うん、、そうだけど、、、」
「ふぁ~、やっぱりかぁ。そんで、ピノちゃん、、どうだった??」
「う~ん、、とりあえず今は落ち着いてて、でもさっき悪魔が生まれて、蜘蛛の巣がペリペリって剥がれて、ピノはぐるぐる巻きになっていて、黒い霧が、ピノはゴミ捨て場でからっぽで。とりあえずは、うさこちんとちびうさががんばってくれたんだよ!」
あれ?どうしたんだろう、と少年は思った。気がつけば、まるで年の離れたお兄ちゃんにその日の出来事を報告するみたいに、矢継ぎ早に、安直に、支離滅裂なことばを畳み掛けていた。そもそも、こんなことばじゃなんにも伝わらないだろうと少年は思うのだった。
「う~ん、、ふ~ん、、、」
それでも、トカゲのおっさんは、左手で何か想像上の媒体を操作しながら、なにか難しそうな思案に耽るのだった。
「ま、きみもがんばったんだね」
しばらくして、様々な考えがあたまの中でようやくまとまったのか、ちいさな丸めがねをくいっとしながら言う。
「いや、ぼくはなんにも、、、」
「ふ~ん、そんならそれでいいや。ま、きみは自信を持てようが持てまいが、君の意志によく耳を傾けてりゃあいいんだからねぇ。じぶんからにしろ、他人からにしろ、評価で行動が変わるようじゃあ、しょうもないからねぇ。ふぅあ、、ぅ」
「う~ん、なんだか難しそうな話だね。それって」
だって、人はいつだって他人に認められたい。じぶんでだって、じぶんを肯定したい。それがなければ、なにごともつづけていくことは難しいんじゃないか、と少年は思った。
「あのね、ロロくん。またぞろ、きみはじぶんにできることはないんだとか思っちゃってるんじゃないかな。心配しないでも、あるよ、できることはさ。ま、そのうちそれと向き合うことになるだろうよ。なんにせよさ、きみはね、今すごく大きな問題に直面してるんだぜ」
「できる、ことかぁ。それでも、あんな得体の知れない敵、どうしたらいいか、、、」
「“敵”ねえ。その考え方はあんまりよろしくないね。ありゃ皺みたいなもんだ。不条理そのものの塊みたいなものだ。マクロな流れの、人工的な吹き溜まりってのかね。ま、おまえさんの言う“敵”は確かに巨大だ。そのうえ広大で無尽蔵だ。そうさね、まず、きみは世界の秘密について知る必要があるね」
「世界の秘密か。それはどうやって知ればいいのかな??」
「ま、それは“彼”に任せておけばいいのかな。それでことたりるわけだろ?“きみたち”の場合は。きみにはきみのやるべきことがある。きみは、きみの意志がほんとうにしたいと想うことを、いつだって素直に、誠実に貫けばいいのだよ。“きみたち”はべつにひとつってわけじゃない。心はべつべつの場所に向かっていくはずだろ?だから、そこはそれ、ちゃっかり効率よく分業しなくっちゃね」
「う~ん、言いたいことは、わかるのだけど。観念としてはね。けれど、実際にどうすればいいのかわからないから、“ぼくら”は、困っているんだよ」
「ふぅあぅ、、、ま、そんなとこだろうね。じゃ、おじさんがあえてヒントを出してやろうか。きみは絡まった蜘蛛の糸をほどく呪文を知っているかい?そのうち、きみは旅に出ることになるはずだぜ。東でも西でも北でも南でもない、何処でもあって、何処でもない、そんな場所を探す旅に出るはずだ。それがきみの、それからピノちゃんやあの賢者うさぎたちの大冒険の入り口にもなるんだぜ。ああ、これはべつに“予言”なんかじゃないぜ。ただのあてずっぽうさ。ま、俺のあてずっぽうはよく当たるがね。なにせあのとき、クソ胸糞悪ぃ裏技を使っちまったからなぁ~。だから失敗するわけにも行かねえし、そりゃ老婆心も通り越して、言わねえでいいことまで言っちまうわな。ったく、こんな饒舌、まったくもって性にあわねぇ。とにかくな、俺は俺が俺に課した使命を果たすぜ。意地でもな。だからおまえもがんばれ。俺のために」
「ううん、ドクさん。ぼくががんばるとしたら、それはぼく自身のためだよ。ピノのためですらない。ましてやドクさんのためなんかじゃ、絶対ない。それはぼく自身の“想い”のためだよ」
「ははっ、おじさん、一本とられちゃったね。それに、なかなかいい目をしてるぜ、今のきみ。ま、そんだけ啖呵きれりゃ上等さね。期待してるぜ~」
一本とられた、か。ほんとうに、人を食ったようなところのあるおっさんだ、と少年は思った。まわりくどい話しぶりは、霧のせいというのもあるのだろうけれど、むしろそういう韜晦癖のようなものをもとより持ち合わせているのだろう、と思った。それでも少年には、そんなうさんくささも、めんどくささも、その奥に、いい加減にチラつかせている妙な熱っぽさも、すべてが慕わしく想えるのだった。
「あ~、おじさんの減らず口でもうひとこと。あのな、ロロくん、“想い”が重ければ重いだけ、人はいろいろとまぁグズついちまうものだけど、もしその“重さ”をまっすぐ背負えるだけの背中が育ったなら、もうなにも恐いもんはねえはずだぜ。そうやって何処までだって往っちまえよ。それが“光る”ってことだろ?“笑う”ってことだろ?少年よ、きみはまだちいさい。呆れるほどに。でもそれはな、まだまだ大きくなれるんだってことでもあるんだぜ。いつかきみがほんとうに笑うのを俺はみてみたいぜ?ま、適当に期待してるからよ。じゃ、な。ふぅぁ~、、ぅ」
振り返りざまにそう云って、眠たそうなトカゲのおっさんはそのまま森の中へと消えていった。