ホーリー 第一部
第一話 光について
お昼下がり、やわらかくて淡い光が窓から射しこんでいる。木の葉を敷きつめたベッドの上で、仔犬の少年と仔猫の少女が二羽のうさぎのぬいぐるみを囲むようにして、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。心地よい眠りを祝福する色とりどりの羽虫たちがブンブン、ジージー、フワフワと、想い想いの歌を唄いながら、彼らのすぐそばを飛び廻っている。非常に薄い、液状化した石盤のような羽が、何枚も何枚も、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。まるで、踊ってるオーロラみたいに。ちょうど、壊れてく世界のちいさな希望でも照らすみたいに。
仔犬の少年はふさっと膨らんだしっぽを、仔猫の少女はうにょっと伸びたしっぽを、木の葉の上にぺたんとすっかり休ませている。ふたりの頭からぴょこんと飛び出た犬耳も猫耳も、ふにゃっとうれしそうに下を向いている。ふたりの寝息がすーすー、くーくーと、緩やかなリズムを造って二羽のうさぎをふんわりと包んでいる。
大きな方のうさぎは、マシマロがふたつくっついたみたいなまんまるいからだから、どうみても短すぎる手足がちょこんと飛び出ている。小さな方のうさぎは大きなうさぎの三分の一よりももう少し小さいくらいで、どういうわけか左右の手がお互いにくっついている。二羽のうさぎの白いからだも、ちいさな手足も、なんとなく、いつも以上にやわらかく丸っぽく見える。大きなうさぎの糸みたいに細い垂れ目はいつも以上に垂れ下がって、小さなうさぎのつぶらな瞳は、眠っているというのに、いつも以上に爛々と煌めいている。
それからしばらくもしないうちに、彼らの周りを飛び廻っていた羽虫たちが窓を透り抜けて消え入るようにスーッと飛んでいった。
すやすやと眠っていた仔猫の少女が、少し暑苦しそうに尻尾をパタパタと振ってから、ゴロにゃんと大きな寝返りを打った。そのとき、胸にギュッと抱きかかえていた大きなうさぎを、寝返りのついでにベッドから跳ね飛ばしてしまった。大きなうさぎはそのままゴロゴロと勢いよく、部屋の真ん中ぐらいまで転がっていった。それからもうひとひねり、今度は腕を大きく動かすと、小さなうさぎもはじかれて、ボテン、、とベッドから落っこちてしまった。
一連の物音がきっかけになったのか、仔犬の少年はすうっと、甘い眠りからゆっくり目を覚ました。まず、ベッドに身を横たえたままで、すやすやと眠る仔猫の少女の顔をそっと見つめる。少年は、少女の心地よさそうな寝顔になんともいえない気持ちになって、無垢な風のなかをフワつくときのように、薄絹みたいに笑った。そうして少しのあいだ大切そうに少女を眺めてから、ふと辺りを見回すと、うさぎたちがそばにいないことに気がついた。
「あれ?うさこちんは?ちびうさは?」
と、少年は小さな声でつぶやく。
それから、そっと身を起こしてベッドの外を見回す。
「あっ、うさこちん…」
大きなうさぎが、部屋の真ん中あたりでゴテンと寝っころがってるのを見つける。
「う~ん、ちびうさはどこにいったの??」
と、しばらくベッドの上できょろきょろする。
「あれ??ちびうさ……??」
語気が少し不安げな様子を帯びてきて、なるべく物音を立てないようにしながらも、慌てた様子でベッドの下を覗き込む。
「…ちびうさっっ」
そのまま小さなうさぎをすかさずひょいっと拾い上げて、安堵のため息といっしょに、ひしっと抱きしめる。
小さなうさぎを見つけて安心した少年は、ベッドの上に座り込んだまま、大きなうさぎの方にふたたび目を向ける。
「う~ん…うさこちん……またずいぶん派手にころがっちゃったな~っ」
あたまの中で言いつつ、それでも相変わらず気持ちよさそうに眠っている大きなうさぎを、微笑みを浮かべながらみつめる。
「もうっ、うさこちん、うれしそうにしやがって~っ」
またあたまの中で言いながら、ベッドを揺らさないようにそっと起き上がって、ささっと、大きなうさぎを連れ戻してくる。
そうして、仔犬の少年はまた仔猫の少女のとなりに寝そべって、すやすや眠りつづけるうさぎたちをまたふたりの間に寝ころばせては、三人の寝顔を幸せそうに眺めるのだった。それでも、そうしているうちに、少年は気がつけば三人とはまるで関係のないことを考えていた。ちっぽけな不安や、何度も繰り返した浅い諦めが、心の片隅からジワジワと染み出してくるのを感じていた。それは、誰かが路地裏にでも放った影絵の炎みたいに、チラチラと頭の中にこびりついていた。手で払っても、水をかけても、影絵の炎はチラつくばっかりだった。まるで絵本についた小さな染みみたいに。
影絵をあたまの中からぬぐおうとすることに意味はなかった。少年はただじっと影絵を眺めながら、その源泉にあるものをみとめようとした。それはここしばらく、少年がずっと繰り返してきたことであり、その行為も、そしてどうせその解答もけっきょくいつもの予定調和に過ぎないのだろうと想った。使い慣らされた回路のなかを漫然と廻り続けることが、ひどく怠惰で滑稽なことのように想えてならなかった。でもそんなことよりもなによりも、少年にとっては、大好きな三人の寝顔をそばにして、そんなことを考えてしまうことがとても哀しかった。大好きな三人のそばで、自分だけの身勝手な世界に入り込んでしまったことが、なにより寂しかった。
仔犬の少年はもう一度気を取り直そうと、壁にかけてある贈り物の一品一品を眺めた。透きとおった昆虫の羽だとか、古代樹の朽ちない葉っぱとか、消えない光を宿した不思議な石だとかには、贈り主たちからの人肌のぬくもりが籠もっていた。少年はそれらを見るたびに、遠く離れた友人たちから少し元気をもらうような気がした。それは、ながいこと住んでいた大好きな街を離れ、なんにもできないまま虚しい日々を送っている少年にとって、確かに心の拠りどころとなっていた。でもそんな風に遠く近い優しさにすぐ甘えてしまうことに、何度も繰り返すうち、少年は次第に自己疑念を感じるようになっていた。
「利用する。ってどういうことかな……?」
と、少年は心の中でぼそぼそとつぶやいていた。
そうこうしているうちに、仔猫の少女が、今度はゴロにゃあ~っと寝返りを打った。少女はベッドの端っこまで、くるんと回転する。その回転に巻き込まれて、またうさぎたちがはじき飛ばされてしまう。小さなうさぎはぽてんぽてん、と少しだけ転がって、大きなうさぎのまるいからだは、ごろんごろんと勢いよく転がった。と、同時に、仔猫の少女がパチンっと目をさました。
「ほにゃ、、おはよう、、、」
まだ少し眠たそうな目をしている。
「おはよう、ピノ」
仔犬の少年は、できるだけ穏やかな声で応えた。
「ん…にゃ?うさこちんは??」
からだを横たえたまま、視線だけきょろきょろ動かして、怪訝そうにたずねる。
「………」
仔犬の少年は、なにも言わずに、そっと大きなうさぎの転がった方向を指差す。
「ほにゃぁっ、なんであんなところに~っ!?」
少女は振りかえって、少年の指差した位置に大きなうさぎの姿をみとめるなり、びっくりした様子でそう言った。
「んにゃぁ~、、にゃら、ちびうさは、、、」
と言いながら、すぐにベッドのそばに転がっている小さなうさぎもみつける。
「眠ってるときのピノは元気いっぱいだったよ~。ふとんはじぶんのところにぐいぐい引っ張っちゃうし、それもすぐにぽーんって放り出しちゃうし、それにごろごろ転がって、うさぎたちをぴょんぴょんはね飛ばしていたよっ。もう、なんだかうさこちんみたいだったよ~っ」
「にゃあ~ん、、ピノのイメージが、、、」
「ピノもだんだん、うさこちんに似てきたのかもしれないねっ。うさこちんみたいなピノもかわいかったよ~。それに、ほら、うさぎたちもはじき飛ばされたのに、あんなに心地よさそうにしてるよ」
「うさこちん・・・ちびうさ・・・」
そうつぶやいて、静かに、感慨深そうにうさぎたちを眺める。
「どんな夢見てるのかにゃ??」
「ん~~、きっと、夢の中でピノと遊んでるんじゃないかなぁ」
「ほんとに??」
目をきらんと煌めかせながら言う。
「うんっ。ほら、うさこちんなんか、いつも以上に目が垂れ下がってるし、ちびうさも爛々と瞳を光らせてるよっ。きのうピノがおうちに来てから、あんなにはしゃいでいたものね」
仔猫の少女は、えへへ~と、うれしそうにうさぎたちを眺めてから、もそっとベッドからはい降りて、ぺたんぺたんと、四つんばいのままで大きなうさぎのところへ向かう。
「うさこちんっ」
うさぎのまるくて柔らかいからだを、そっと胸元にひきよせて、むきゅうっと抱きしめる。それから大きなうさぎを胸に抱えたまま、三本の手足でベッドのそばまで戻ってくる。大きなうさぎをそっと仔犬の少年に預けてから、小さなうさぎをゆっくり、両手でつつみこむようにして拾い上げる。そのまま胸元で片手に持ちなおして、もう片方の手でうさぎのせなかを撫で撫でする。
「ちびうさ・・・」
少女はそのままベッドのそばに座り込んで、小さなうさぎをひざの上に寝そべらせた。