ホーリー 第一部

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「ピンポーン」
 とりあえず、呼び鈴を鳴らす。朝日がさんさんと照りつけて、夏を感じさせる。そこかしこから蝉がジージーと五月蝿くわめいている。まるでディストーションのかかったギター・ノイズの海のように。
「ガラガラガラ」
 と引き戸が開く。出てきたのはお母さんだった。一度、ここへ来たときに面識があったので、助かった。もし、あのオヤジが出てきたら、きっといろいろめんどくさいことになっていただろう。にしても、こんな朝の早い時間、昨晩のことを考えれば、オヤジはまだぐーすか寝てるに違いなかった。
「おはようございます。すいません。ほのかさんはいるでしょうか?」
「あら、おはよう。ほのかなら二週間ぐらい前から友達のところに行ってるみたいやけど、聞いてなかってん?」
「ありゃ、そうなんですか~。聞いてないですね~。あ、じつはちょっとほのかさんに貸してたものが急に必要になってしまってですね。それで返してもらいにきたんですけど」
 とっさに、ありふれた嘘をつく。やっぱりあのオヤジが言ってたのはあの仔のことだった。べつに驚きはなかった。
「あ、そうなんやあ。そしたら、ちょっとほのかの部屋に上がってって。勝手に持って行ってくれていいから~」
「ありがとうございます。それでは、おじゃまします」
 家事で忙しいというのもあるのだろう。何を探すのかも訊かずに、あまりにも無用心にあの仔の部屋へ入れてくれた。そして、そそくさと、家事をしに戻っていく。信じられないくらいに、すんなりと事が運んだ。ほんとうに、あのオヤジが寝ていてよかった。

 部屋の壁には、どこから見つけてきたのか、古ぼけてボロボロになった古代のポスターが何枚か貼ってあった。ザ・スターリン、INU、ザ・ブルーハーツ、、、あと何枚か張ってあったけど、ぼくには誰のポスターなのかわからなかった。どうも、ジャンルが偏っているようで、ぼくの浅い知識と弱い意志では、あの仔のその深い部分に触れることもできないのだろう、と感じた。まえにこの部屋へきたとき、あの仔からいろいろと聴かされたとき、ぼくはそう思ったのだ。“矜持”、“芯”、“スジ”、そんなもの、意志薄弱なぼくには到底持ち得ない概念だから。ほんとに、もう、グニャグニャで。アメーバみたいで。きっとぼくがあのオヤジに感じている嫌悪感も、半分くらいは、そういうじぶんの至らなさから来る逆恨みみたいなものなのだろう。

 天井には飴玉のシールが何枚も張ってあって、カーテンもじゅうたんも、青空の模様をしている。それから、古めかしい小物類や、可愛らしいぬいぐるみなんかが部屋をにぎやかにさせている。ずっしりと大きい洋服ダンスのなかには、たぶん色とりどりの和服や、白や黒や茶の、落ち着いた色のロリータ服が入っているのだろう。それから、尖っていて、攻撃的な、パンク・ファッションの洋服も。まるで、あの仔の心のなかみたいな部屋だと想う。すべてに意味があって、すべてを大切にして、荷物も想い出もたくさん詰まっていく。心にいろんな色と確かな強さを持って、感じやすいアンテナで、壊れそうになりながら生きている。
 
だめだ。また、知った風なことを考えてしまった。簡単に、わかった気になるな。常に疑え。あたまの悪さを自覚しろ。てめえの浅はかさも、愚鈍さも、おまえはよくわかっているはずだろう。

 気を取り直して、部屋を物色する。プライバシーを侵害しない程度に。机の上には、うさぎたちとロロとピノの四人がいっしょにすやすや眠っている絵が飾られていた。それから、ぼくがあげた、“真夏の抜け道”でロロがピノの手を引いて走っている絵も。さいきんわかったのだけど、あちらの世界の歌や絵に関しては、少なくともぼくらの間では霧に遮られることなく共有できるみたいだった。たぶん、お互いがすでにじぶんのなかに持っているものだから、なのだと思う。

 一通り探したところで、あまり手がかりになりそうなものは見つからなかったので、思い切って机の引き出しを開けてみることにした。鍵のかかってるところを。きっと、知られたらぶん殴られるだろう。いや、蹴られるかもしれない。それでも、見ずにはいられなかった。まったく、どうせ何を知ったって、何ができるわけでもないっていうのに。
 そしてポケットに入れてきた針金で、ちょちょいっと、鍵穴をほじくりまわす。五秒くらいで、すんなり開く。昔から盗賊にあこがれていたロロの影響で、こういうことはわりと得意なのだ。

 引き出しの中には、如何にも怪しそうな護符?が何枚も入っていた。円や、三角、五旁星、六旁星、それから直線や曲線を組み合わせた様々な記号、見たこともない文字が書きこまれた不思議な札が。それらは、何かとても大きな力を持っているような、そんな錯覚を起こさせるくらいに物々しいオーラを発していた。

 ぼくは、意味も用途もよくわからないそれらのすべてに目を通した。いったいなんの目的で、それにどうやってこんなものを集めたのだろうか。そんなことを考えながら、不思議な札を何枚も調べた。そしてそのなかに、見覚えのある札を、ひとつだけ見つけた。薔薇と十字の文様。十字架の中心に、薔薇のマーク。かつて、器学部の部室に貼ってあったのと同じものだった。あの“組合”が貼っていった護符。連絡が途絶え、霧にまみれた変死体として発見された彼らの護符。ぼくは運命が激しく交錯するのを感じた。そして、不吉な予感はますます巨きくなった。もう、冷静では居られなかった。ぼくは、すぐにある作戦を思いついた。それはほんとに馬鹿げた、あまりに短絡的な作戦だと思うけど。

 ぼくは薔薇十字の護符を一枚だけポッケに忍ばせて、あの仔の家を出た。


      【 第一章「はじまりのノート」 】 完

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