世界機械日記
世界機械日記
6月18日


久しぶりに物置から「世界機械」を引っ張り出してきた。


いまだになんでこんなものがあるのかよくわからない。いつからあるのかもよくわからない。気が付いたら誰もが持つようになっていた。

煙草に火をつけようとする何気ない仕草とか缶コーヒーを飲むさりげない手の動きとかにイチイチ反応してはガチャガチャと軋んだ作動音を響かせる。

狭くて殺風景な室内に「世界機械」みたいなバカでかいものを置くもんだから、そこに置いてる内は厭でも目につく。よくよく眺めてるといろんな処にヒビが入ってるのがわかるし、なんだか淀んだ色をしてる処もたくさんある。とてもきれいな色をしてる箇所もそれなりにあるんだけれど、数ヶ月前に最後に観たときよりそれは少し狭くなってる気がした。気のせいかもしれないんだけど。

なんだかよく眺めてると愛着は湧いてくるもので、至る所にあるヒビや汚れをどうにかできないもんかと想ったりもする。でもなにをどうしたらどこがどう反応するのか見当がつかないもんだから、持て余してるうちにそういう気持ちもすぐに風化してしまう。

使い方もよくわからないし実用性なんてどうせ皆無なんだろうな。そもそもぼくみたいなヒマ人でもなければこんな厄介な機械とにらめっこしてる時間も余裕もない。ほとんど誰の家でもほったらかしになってるらしい。このまえ公園で一緒に呑んだホームレスのおっちゃんなんて何処に置いてきたかもわからないって言ってたしね。


昼下がり、散歩がてら職業安定所に出かけた。


雲間に遮られて鈍い陽光がジワジワと照る中、街道沿いの小路を歩いた。左手に広がる鬱蒼と生い茂った小さな森にはやたらとクモの巣が張ってなんだか廃墟みたいにも想えた。


6月24日(上)


雨は降らなかった。久しぶりに晴れ間が見えて鬱陶しいぐらいに蒸し暑かった。あれからバイトの面接を二つ受けた。どちらも採用にはならなかった。


ちょっと厭な夢をみた。初めての恋人のことを想いだした。


ぼくは夢の中で彼女と向かい合って座っていた。彼女は非常に重たい固体のようにテーブルにぐったり項垂れていた。ぼくはしきりに何かを叫んでいた。彼女はただ死んだ金属みたいにギスギスした眼球をときどきぼくのいる方角へ向けた。

気が付いたら彼女の心の中と思しき不思議な空間にいた。あの小さな森みたいにクモの巣がたくさんたくさん巣食っていた。暗くて哀しくって、あの小さな森よりももっとずっと孤独な匂いを感じた。硬くって重たそうな扉があったんだけど開け方はよく解らなかった。なんどか強引に開けようとしたけれどそのたびに空間の冷たく軋む音が聞こえた。ときどきドアノブに噛みつかれたりもした。なにか暗号のようなものが扉の前に書いてあったけれど、洞察力も知能もないぼくには意味がよくわからなかった。なにより深く客観的に考えたり工夫を凝らすというのがものぐさなぼくには余りにも面倒だった。そういった行為は実際のところハナから一切放棄していた。


目が覚めたらまた厭気が差した。他人との深い関わり合いは自分自身の本質を映す鏡にもなる。未だに彼女とのことを想いだすと深い厭気が差す。昔はそれが重さをともなって足をからめ捕ったけど今じゃずいぶん軽いもので今日だって昼食をとる頃には都合よく忘れてた。重さをともなわなくなったのは多分変化をめんどくさがる身勝手さゆえだろう。


昼食を取った後久しぶりに散歩に出た。最近やたらと眠ってばっかりだったから。寝てようが身体を動かそうがなんにもしてないのに変わりはないんだけどね。

駅の前には「世界機械」をいくつも並べてあーだこーだと演説してる人がいた。その人を取り囲むようにして5、6人ぐらいが座布団敷いて座ってバカ騒ぎしてた。リーダーと思しき人間も含めて、みんな甚平やパジャマ姿で一升瓶片手に酒を呑んでいた。なぜかこの暑いのにちゃんちゃんこ着てる強者までいた。なかなかにマヌケな光景だった。想わずニンマリした。

ぼくはこの人たちがわりと好きだ。彼らなりになにかと真剣に考えてるみたいだし。でも今日は彼らのことを気に喰わない連中もたくさんいるんだってことを知った。あたりまえのことだろうけどちょっとさみしかった。覆面をつけた連中がワザワザ立体映像転送装置まで使ってやたらと彼らをののしってた。この装置が普及してからっていうものどんな社会活動に対しても(お硬いものだろうがマヌケなものだろうが)こういうやり方でのリアルタイムの批判が殖えた。批判があるのはあたりまえのことなんだけど、彼らの口ぶりにはなにかネトッとした凶暴さとなんらかの身勝手さがある気がしてならなかった。単純に感性の問題なのかもしれないけど。彼らのことはあんまり好きにはなれないと想う。


彼らの「批判」がやたらと目や耳に残っていた。


ロクに働いてもいない、自分のこともマトモにできちゃいないのになんにも言う資格なんてないんだと想った。自分の人生に自分で責任もとれちゃいない。他人からもらう恩ばかりが水ぶくれみたいに不健康に溜まってく。こんな人間があの難解な「世界機械」と向き合おうなんてバカげてるし、そもそもヒマ人の気まぐれに過ぎなかったんだと気付かされた。


6月24日(下)


それからまたしばらく歩いた。夕暮れはやっぱりきれいだった。少し立ち止まって下水の流れる音を聴いていた。マンホールの上から聴く下水の音はコロンコロンと硬質的に反響して心をそっと洗ってくれる。ほんの少しだけ透明な気分をくれる。

そうしてじっと耳を澄ましていると、下水道からなにかメロディーのようなものが聞こえてくるのを感じた。

左耳をマンホールにくっつけてみるとそれはよりくっきりと感じられた。なにか不思議なやわらかさを持った少し哀しげなメロディーだった。


もっと近くで聴きたくなったのでマンホールの蓋をはずした。

……精霊がいるのかと思った。淡い緑色と澄んだ青色の大量の発光体が下水と一緒に地下水路を流れていた。発光体群は人間が造った「流れ」の中を機械的に運ばれていた。相変わらずそれらの発する光はどこまでもやさしい色をしていたけれど。

今までずっと古い言い伝えを信じてきた。精霊たちはいつもぼくらの周りを自由に暖かいリズムで飛び交ってるって。ただぼくらには見えないだけだって。でも違った。精霊たちはいつからか精霊じゃなくなって単なるエネルギー体になっていたのだと知った。


それから「音楽」の聞こえる方向へ歩いていった。発光体たちが発する優しい光がなんだか哀しげなものに想えてならなかった。

「音楽」はヒッソリと鳴っていた。壁に開いた小さな抜け穴をくぐったり不思議な文様の入った立体映像の扉を摺り抜けたりしてる内に地下水路からはどんどん遠ざかっていった。そうして狭く入り組んだ迷宮都市のような路を歩いていくと、やがて少し開けた円形の空間に出た。

「音楽」は間違いなくこの空間から発せられているのだと直感した。物体という物体はなんにもなかったけれど決して殺風景ではなかった。壁や天井の色合いもそのフォルムも全てがあの発光体たちのような深い優しさを内包していたから。

しばらくのあいだその空間と「音楽」に身を預けていた。地面にはさっき通った路筋でもたびたび出くわしたものと同じ文様が描かれていた。それはもっと以前から見知っているもののように想えてならなかった。なんだかそれが気になって少しの間記憶の中を手繰ってみた。

たぶんそれらの文様はあの「世界機械」の文様と同じものなんじゃないかと想った。「世界機械」のそれとは大きく違ってヒビも汚れもなくあまりにもきれいな色をしているからなかなか気付かなかった。あのほったらかしにしてる「世界機械」の姿を想いだすと、すごく哀しいバカバカしい気持ちになった。


すると突然地面に描かれた文様が淡い緑と澄んだ青色に光りだして空間の中にその光が浮かび上がってきた。その光は暖かいリズムで自由に空間を飛び交っていた。それはこの空間だけの限られた自由のようにも感じられたけれど。精霊たちはひとしきり想い想いに飛び廻ったあと、ぼくをゆったりと包んだ。

それから立体映像があらわれた。精霊たちが夢を見ているのだと想った。それはべつになんでもない、人間たちが水を汲んだり鋤を振ったり衣服を編んだり唄を唄っている姿だった。ただそのあまりにもこじんまりとした「生活」の中では精霊たちが常に彼らの周りを飛び交っていた。どうやら水や木や鉱石などの自然物と人間が関わるときには澄んだ青い色の精霊が、人間が行う営みには淡い緑色の精霊が寄り添うようだった。かれらが生みだす様々な物体には全て精霊が宿り、たくさんの微妙に色合いの異なる青色と緑色とに光り輝いていた。精霊たちは常に「生活」の中を生き生きと飛び交い、かれらを照らしていた。かれらはじぶんたちの行動のひとつひとつが自然や他者と如何なる連関のもとに成り立っているのか常に理解していた。そんなかれらの深い知性が精霊たちの祝福を招いているようだった。それはあまりにも限られたユートピア幻想のように想えたけれど、ただ単純にぼくの心を暖めてくれた。精霊たちの光があんまりきれいで優しいものだったから理屈を抜きにして希望的な気分にならざるを得なかった。


それからゆっくりと精霊たちは霧散するようにして消えていった。精霊たちが消えた空間は殺風景なものになっていた。地面に描かれた紋様も「世界機械」と同じように大量の汚れやヒビに覆われていた。その空間にあの「音楽」だけがずっと鳴り響いていた。



7月10日


あれからようやく新しい仕事も見つかり、少しだけ忙しい日々をおくっている。


「世界機械」について、少し状況が変わった。

精霊たちの夢を観てからというもの、ぼくは日に30分前後ではあるけれど「世界」について本を読んで勉強するようになった。そしていつも勉強が終わったあと、あの地下水路を流れる発光体群を思い出しながら「世界機械」に手をかざすようになった。するとボワっと、何日かにひとつずつだけど、発光体群が紋様の上に浮かび上がる。そんなときは新しく浮かび上がった発光体に祈りと感謝を捧げながら「世界機械」の上端についたランプに手をかざす。するとあの「音楽」が静かに鳴り響いてランプが淡い緑色か澄んだ青色に光る。

そうして新しい精霊が生まれる。ぼくの周りをうれしそうにひとしきり飛び廻ったあと、またどこかへ飛んでいく。気持ち良さそうに飛んでいく。






p.s

「世界機械」を覆っているヒビや汚れに関してはどうすれば治せるのかまだまだ見当もつかない。まだまだ数では言えないくらい大量の発光体群が機械的に地下水路を運搬されている。

「夢」や「音楽」なんてものは大概がウソを伴う。精霊たちが見せてくれた夢もどーせ本当の意味では局所的にすら実現しえない甘い幻想にすぎない。でもそんなことは誰でもわかってる。わざわざ言うことじゃない。本当に芸術的なウソは新しい「道」を教えてくれる。希望なんかこれっぽっちもなくてもね。


騙されたまんまでいい。イカした連中に騙されるのは中々に楽しいよ。ぼくは新しい「道」を追い求めて生きることにした。


しーゆー
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