恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


 カラリと乾いた音がした。目の前に、懐かしい景色が広がる。
 開かれた益田呉服店は五年前と変わらず、色とりどりに飾られた反物は柄が違うけれど、高貴な鮮やかさはそのまま。店の奥にある畳の座敷や姿見、木目調の衝立にも見覚えがあった。
 数度しか来たことがないのに……懐かしいと感じるなんて話せば、十夜さんは笑ってくれるだろうか。
 店に入った私は、そんなことばかり考えていた。だけど、いつまで経っても主人が来ない。私達が来たことに気付いていないのかもしれない。
 私が店の奥へ呼びかけようかと迷っていると。

「あのぉ……すみませーん!」

 裕子の方が先にしびれを切らした。呉服屋という慣れない雰囲気に気後れしているのか、私の身体を盾にしている。度胸があるのか、ないのか。
 裕子が主役なのだから隠れることはない、と言おうとした時。

「はい、いらっしゃいませ」
「――ッ!」

 奥の部屋から、やんわりとした声が聞こえた。
(ど、どうしよう……この声って……っ)
 この声に聞き覚えがある。私はアタフタと意味もなく手を動かし、うろたえてしまった。
 嬉しさと怖さの両方が一気に押し寄せ、胸が痛いほどに締め付けられる。何か言うわけでもないのに、告白する前と同じような気持ちだ。今なら口から心臓が飛び出てきてもおかしくない。
 私がゴクリと喉を鳴らしながら待っていると、トストスと足袋で歩く音が近づいてきた。
 そうして現れたのは、夜露に濡れたような黒髪に、透き通るような色白の肌、それに映える紺色の着物をまとった男の人――十夜さんだった。

「いらっしゃ……っ、これはこれは……」

 十夜さんは薄く微笑んでいたが、来客したのが私だということに気付くと、長い前髪の奥にある瞳を小さく見開いた。

「……凛子さん、いらっしゃいませ」

 小首を傾げ、紫黒(しこく)の瞳をスッと細める。艶めいた髪がわずかに揺れた。
 相変わらず、なんて美しい人だろう。
 百合のように凛とした姿の十夜さんに、一瞬で心を奪われる。
 思わずぼう然と立ち尽くしていると、彼は一段高い座敷から降りて、私の前に立った。

「随分……待ちくたびれましたよ」

 紅い唇がスッと横に引かれ、色気を孕んだ瞳で私をじっと見つめてきた。

「五年、ですか。またのご来店がこれほど空くとは」

 十夜さんは笑みを浮かべたまま、首裏に手を当てて気だるげに喋る。無意識に十夜さんの動きに見入ってしまい、色香を放つ白い首筋に、私の思考は乱れた。

「あ……っ、だって、あの……」

 『これほど空くとは』ということは、もっと早く来てもよかったということだろうか。
 本当に待っていてくれたというのか。それとも……社交辞令?
 例え社交辞令だったとしても、十夜さんの頭の中に、五年前の私がいたということがすごく嬉しい。
 五年ぶりの再会や、十夜さんの変わらぬ美しさ。それに、気遣いが嬉しくて、息が止まってしまいそう。
 私が速くなった鼓動をなんとか落ち着けようとしていると、隣に立っていた裕子が怪訝な様子で顔を覗き込んできた。

「お姉ちゃん……知ってる方?」
「あ、うん……私が着物を買った時、担当してくださった方なの」

 顔は赤くなっていないだろうか。少し俯きながら答えた。

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