恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


 十夜さんとは五年前、私が今日の裕子のように、成人式の着物を選ぶためにこの店を訪れた時に出会った。
 その時は十夜さんのお父様がお店にいて、十夜さんは手伝いをしながら店主の勉強をしていた。
 私が着物を選んだ時、採寸をしてくれたのが十夜さんだった。
 色恋沙汰に免疫がなかった十九歳の私は、二十七歳で大人の……しかも十夜さんのような男の人に、心臓が破裂しそうなほど高鳴った。
 恋なのだと思った。
 しかし、仕立ててもらった着物を受け取りに行った時、一生分の勇気を使って想いを伝えると、

「それはただの憧れですよ。大人になったら、またご来店ください」

 と柔和な声で言われてしまった。今と同じ、凄艶の微笑みを浮かべながら――。
 子供扱いされたことはすぐにわかった。でも好きだと言う気持ちは嘘じゃない。
 初めて会った日から、気持ちを伝える日まで、ずっと十夜さんのことが頭から離れなかった。十夜さんのことをずっと見ていたいと思ったのに。
 これが恋ではないと言うのなら、なんという名前がつくのかと。そう思ったのに。十夜さんの答えで悔しい気持ちになった。
 それからいろんな人と出会ったが、あの時ほど誰かに会いたいと焦がれ、ずっと見ていたいと切望した人は十夜さん一人しかおらず。やはり恋だったではないか、と何度も思い返した。
 ……昔の思い出が、チクリと胸を刺す。
 私が淡い感傷に浸っていると、裕子は興味深そうに私と十夜さんを交互に見てくる。

「ふーん……お姉ちゃんを担当した方ねぇ。私、妹の裕子です」

 裕子がちょこんとお辞儀すると、十夜さんは裕子の方へ向き直り、丁寧に頭を下げた。

「益田十夜(ますだとうや)です」
「っ……!」

 顔を上げた十夜さんはしとやかに微笑んでいた。裕子はふいをつかれたのか、ボッと火が点いたように頬を赤らめ、固まってしまった。
 それもそうだ。
 丁度裕子も、私が十夜さんに出会った時と同じ十九歳。しかも十夜さんの容貌は、あの頃より美しさを増している。十夜さんの美しさは心も体も締め付けて、瞳さえも逸らすことができなくなるのだ。
 しかし裕子は、当時の私よりも男性経験が豊富なのか。十夜さんの緊縛からすぐに解放されると、何かに気付いたようにハッと口を開けた。
 ――イヤな予感がする。

「だからかぁ! お姉ちゃん、念入りに準備したり、ワンピースまで買いに行ったりしてたのって……十夜さんがいたから!?」
「あっ、ゆ、裕子……!」

 ああ、もう……やっぱり。

「そのくせ、お店の近くに来たら、行くのやめるとか言いだすし……なんだ、緊張してたのね」
「裕子……もう……」

 口を塞ごうにも遅かった。裕子は全部言ってしまった。デリカシーの欠片もない妹に頭を抱えるしかない。
 頬に手をやると、羞恥からか熱くなっていた。耳も感覚がなくなるほど、熱くなっている。きっと首まで赤くなっているはず。十夜さんから見れば、私は茹でタコのようだろう。

「へぇ……そうだったんですか」

 頬を押さえたまま、上目遣いでチラリと十夜さんを見ると、楽しそうに笑っていた。

「お洒落は僕のためと受け取っても良いですか? 凛子さん」
「……ち、違っ……お、大人になっただけです」
「ふーむ。大人ですか」

 十夜さんは顎に手を当て、身体を引いて遠目で私を見てくる。

「と、十夜さん……あのっ、そんなに見ないで……も、もらえませんか……?」

 私は額にじんわりと汗をにじませながら前髪を整え、頬にかかる髪を耳にかけたり、スカートの裾を押さえてみたりと、ドギマギしてしまう。
 そんな私を見ながら、十夜さんは眉根を寄せ、低い声で「うーん」と唸った。

「中身が大人になられたのでしょうか?」
「うぅ……い、いえ……そういうわけでも……」

 どうやら十夜さんにしてみれば、外見は五年前から変わっていないようだ。
 自分が情けなくなり涙声になる。すると、十夜さんにクツリと笑われてしまった。

「冗談です。大変大人になられて、誰かわからないほどでした」
「す……すぐに、私だと気付かれていたじゃないですかっ」
「ふふ……すみません。少し意地悪を言いましたね。しかし本当に大人になられて、洋服もとてもお似合いですよ」

 褒めてくれているようだけど、その表情からは、やはりどこか私を遊んでいるような雰囲気がある。
素直に、お洒落をしたのは十夜さんのためだと言ってしまえばよかったのか。
 いやでも、裕子が側にいるのだった。あぁでも、お似合いだと言ってもらえてすごく嬉しい。
 思考がぐるぐると巡る。それが顔に現れていたのか、十夜さんには「顔が大変なことになってますよ」と、また笑われてしまった。

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