恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
これでは本当に五年前の自分と変わらない。
私はキッと頬を引き締めると、十夜さんに鋭い視線を向けた。
「十夜さんは……意地悪な顔をしています」
「五年で凛子さんが大人になられたなら、僕は子供になってしまったようですね」
ふふふ、と上品に口元を綻ばす。
やっぱり、遊ばれているらしい。
私は火照る顔を手の平で仰いだ。それでも、一向に熱は冷めそうにないけれど。
小さく息を吐いていると、店の奥からトトトと軽やかな足音が聞こえてきた。
「十夜さん! 何、女の子いじめてるんですか!」
次いで十夜さんを叱りつける、鈴の音のような女の人の声が耳に届く。
頭で理解するよりも先に、ずしんと胸が重くなった。
姿を現した女の人は、小さな顔に顎のラインでパツンと揃えた黒髪で、黒飴のように丸く大きな瞳をしている。
耳の上に付けた白い花のヘアアクセサリーが可憐に揺れ、更に可愛らしさを醸し出している。
着物は萌黄色に白い綿雪のような模様がついた優しいものをまとっていて、十夜さんの横に並べば美男美女の和装カップルのようだ。
女の人は座敷に正座をし、前に手をついて頭を垂れた。
「十夜さんが子供になったのなら、世話を焼き過ぎている私のせいですね。ごめんなさい」
「……はぁ」
意地悪してきたのは十夜さんだ。なのに、関係のわからない女性に謝られても正直困る。
何と言っていいかわからず、生返事しかできなかった。
「翠さん(みどり)のせいではありませんよ。男は年を取るほど、子供になるものです」
十夜さんは頭を下げた女性を翠さんと呼んだ。
しかしその翠さんをかばっているのか、そういうわけではないのか。先ほどから変わらず飄々としている。
翠さんなんて……五年前はいなかったのに。
喉が渇いて、気持ちまでもがカサカサになるのを感じた。
もしかして……。
信じたくない考えが浮かび、十夜さんの左手を確認した。だが、指輪はない。
ということは、この二人は夫婦ではないのだろうか。
でも、結婚指輪をしていない夫婦はいくらでもいる。婚約中なのかな……。
嫌な考えは止まらない。
しかし私がそんなことを考えていると初対面の翠さんが気付くはずもなく、彼女は私と十夜さんの間に立つと、品定めするような視線を向けてきた。
「それで、今日は何かお探しですか?」
「あ、あの……裕子の、妹の成人式の振袖を探しに来ました」
ツンとして尋ねてくる翠さんに、気圧されながらもなんとか答える。すると、翠さんの後ろで聞いていた十夜さんはにこりと微笑んでくれた。
「そうですか。それは、ありがとうございます」
「いっ、いえ……」
長い前髪の奥から覗く瞳に、全身が捕えられて上手く喋ることができなくなる。
優美なその姿は嫌な考えを吹き飛ばし、ゆっくりと徐々に、しかし確実に私を惑わすのだ。
「それじゃあ、ご自由に見ていただいて……と、ご案内は必要なかったようですね」
「え?」
まさかと思ってあたりを見渡すと、裕子は既に反物の物色を始めていた。
一人では選べないと言っていたのに……。
私に気を使ってくれたのかもしれないし、関係のない会話に飽きたのかもしれない。
「あ! これ可愛い。お姉ちゃん、どう?」
反物を見ていた裕子が、気に入ったものを指差す。
それは清楚な薄桃色をした地に、大きく流れるように色とりどりの花々が描かれたものだった。
「うん、可愛いんじゃない? 裕子に似合いそう」
「本当にそう思ってる? もう、なんか上の空って感じ」
見抜かれてしまった。確かに今は、十夜さんのことが気になって、気が気じゃない。
でも嘘は言っていない。思ったまま言葉が出たので、気持ちがうまく乗らなかっただけで、本当にそう思ったのに。
「凛子さん。妹さんの方が大人に見えますね」
「初めて、言われました。そんな……こと」
「そうですか」
恥ずかしくなりながら答えると、十夜さんはクスクスとおかしそうに笑った。
なんだか、先ほどから十夜さんに笑われてばかりだ。
「本当、少し子供っぽい方ですね」
あげく翠さんにも小声で言われてしまう。
自分が情けない。
私は、肩を竦めて俯いた。
「こちらの反物ですか?」
「はい、それです」
その間に、裕子の元へ近づいた十夜さんは、彼女が指差した反物を手に取った。
愛しむような手つきから、彼が着物を好きでこの仕事をしているのが伝わってくる。
「他に気になるものはありますか? 鏡の前で合わせてみましょう」
「じゃあ、この赤色と……ピンク色のものを」
「こちらはどうですか? 深いえんじ色がとても綺麗でしょう」
「本当ですね。それもお願いします!」
十夜さんは意欲的に別のものも勧めだした。
裕子もまたとない機会に調子を上げる。すると、十夜さんはまた嬉しそうに別のものを勧め出す……。
結局10種類ほど選び、十夜さんは裕子を奥の部屋へと案内した。
「では、翠さん。裕子さんの採寸と、選ぶお手伝いをお願いしますね」
「え? わ、わかりましたよ」
翠さんは一瞬顔をしかめ、私を気にしながら奥の部屋へと消えて行った。