恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
* * *
「これでゆっくりできますね」
裕子と翠さんを見送り、十夜さんは一仕事終えたように息を吐いた。
「お茶でも淹れましょう。どうぞ、腰を掛けてください」
座敷に上がり、ポンと畳を叩いて、座るように促してくれる。だけど、私は緊張してしまい、今の場所から動くことができなかった。
「店主である父は、最近店に顔を出していませんから。気にしなくていいんですよ」
私が遠慮して躊躇していると思ったのか、十夜さんは優しく教えてくれた。
十夜さんは優雅な手つきでお茶の準備を始める。茶葉を急須へ入れ、ポットからコポコポと湯を注ぐ。儚げな湯気が立ち上り、ふわりといい香りが漂ってきた。
「どうぞ。緑茶です」
「あ、ありがとうございます」
可愛らしい花柄の湯呑みが差し出される。これはもう、座るしかない。
私は覚悟を決めると、激しく脈打つ胸を押さえ、十夜さんの隣に腰を下ろした。
「遠慮なく、くつろいでください」
十夜さんは満足そうに目を細め、お茶をすする。私も気を紛らわすように、彼に続いてすすってみる……が。
「――ッ!」
熱くて舌を火傷した。
「ゆっくり呑んで下さいね」
十夜さんがクスリと笑う。反射的にビクリと揺れた肩を、十夜さんは見逃さなかったようだ。子供っぽいところを見せてしまったというのに、十夜さんの笑顔に、私の胸はまたトクンと音を立てた。
暑くもないのに、緊張から湯飲みを持つ手に汗をかいてしまう。ゆっくり湯呑を口へ運ぼうとすると、変に力が入って震えてしまう。お茶をすすることさえ、十夜さんの側ではこんなにも難しい。
しかも、会話がなくなってしまい、二人の間を沈黙だけが通り抜ける。時折奥の方から、裕子と翠さんの会話が漏れ聞こえてくるくらい。
本当は聞きたいことはいっぱいある。この五年間、何をしていたのか。私のことを本当に覚えてくれていたのか。今の私は大人に見えるか。そして、好きな人はいるのか、翠さんとはどういった関係なのか……。
聞きたいけれど、聞けそうもない。
「……」
だけど、五年ぶりの再会。今度はいつ会えるかわからない。こんなのじゃダメだ……。
「あ、あの……十夜さん」
「なんでしょう」
「えっと……あのっ」
頑張って声をかけてみた。だけど、十夜さんに視線を向けられただけで、次の言葉が何も出てこなくなる。
(十夜さんのその笑顔は……既にもう、誰かのものですか?)
十夜さんの顔を見て、ふと頭に過るのは小さな独占欲。自分のためだけ、なんてできるはずないのに。
思い切って、翠さんのことを聞いてみようか……。
「あの、ですね……」
「はい」
翠さんのことを聞きたいけれど、なんと尋ねたらいいかわからない。
私が口籠っても、十夜さんは微笑みを浮かべたままだ。
「仲が良いんですね?」と聞くのは少し卑屈っぽい気がするし、「どういったご関係ですか?」と尋ねるのも、こちらの気持ちが透けて見えてしまう。
(十夜さんを不快にせず、上手に聞きたいのですが……)
「翠さん、お綺麗ですね」と彼女について触れれば、十夜さんの口からポロリと関係が零れないだろうか。
いろいろと言葉を考えながらも、そう尋ねてみることにした。
どこか皮肉っぽさを感じるけれど、十夜さんに伝わらなければいいな。
「と、十夜さんっ」
「はい、なんですか?」
「あ、あの! 翠さんとはお付き合いされているんですか!?」
「……」
「――って、私……っ」
たった今、言葉を決めたのに。
口をついて出たのは、直球ストレートな質問。十夜さんもびっくりして、目を丸くしている。
……私、馬鹿だ。二十四歳にもなって、自分の決めた一言すら喋ることができないなんて。
両手で口を押さえたところで、今更遅い。私が項垂れて落ち込んでいると、十夜さんはフッと笑みを零した。
「気になりますか? 私と翠さんの関係が」
顔を上げ、十夜さんを見ると、瞳の奥へ吸い込まれてしまいそうになる。私はまたすぐに、彼から視線を逸らした。
「えっと、あの……っ」
「聞かない方がいいかもしれませんよ」
「……そんな……」
「聞く覚悟はおありですか?」
「……は、はい」
十夜さんは眉を寄せ、話した後の私を案じているのか、心配そうに尋ねてくる。
そんな顔をされる話なら……聞きたくない。……でも、聞きたい。
私が小さく頷くと、十夜さんは困ったような顔をして腕を組んだ。
「さて……どう説明しましょうか」
空気が重くなる。
十夜さんの様子に、二人は何か深い関係なのかと勘ぐってしまう。
「あ、でも……と、十夜さんが言いたくないなら……私は……」
もしかしたら十夜さんは、私が五年前に告白したことを覚えていて、翠さんとの関係を言い出しにくいのかもしれない。なら、やっぱり二人は――。