恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
* * *
なんとか定時までに業務を仕上げ、周りを見ると、他の人達も片付けを始めていた。
「あー、疲れた! 今日は飲むからな!」
「店の場所って、どこだっけ?」
もしかしたら、この時期に歓迎会が開催されるのは、スケジュールの関係ではなく、忙しい時期のストレスを発散するためかもしれない。
張り切っている人や、地図を見ている人もいて、事務室内は既に砕けた雰囲気になっている。
「あ~、今日はもう店じまい~」
隣の美里も、椅子の背もたれに身を預けて、大きく背伸びをした。
「凛子、場所ってわかる? 私わからないんだけど……」
「ううん、私もわからないから……じゃあ、地図印刷するよ」
美里は既にパソコンの電源を切っている。まだ電源が点いていた私は、お店のホームページを開いた。
「店の場所なら俺、わかるよ。一緒に行く?」
「え?」
ふいに背後から声をかけられ、美里と一緒に振り返る。
そこには私達の同期で、営業課に所属している御堂(みどう)くんがいた。彫りの深い目元に優しいしわが入っている。
御堂くんは短い黒髪に、影ができるほど目鼻立ちがハッキリしていて、さらに身長も見上げるほど高い。だから、口を閉じていれば一見恐そうにも見える。しかし、喋れば人懐っこいし、笑えば目尻に優しげなしわが入る。
営業に配属された時は、どうなることかと思ったけれど、意外にも営業向きだったようだ。
「幹事だから、ちゃんと場所は把握してるよ。リンリン、あとシャットダウンするだけだろ?」
「うん、そうだけど……」
人懐っこいのはいいけれど、入社の時から私のことを“リンリン”と呼ぶのは止めて欲しい。ちなみに美里のことは“ミサミサ”と呼んでいる。美里がそう呼ばれることをどう思っているかはわからない。
私がとりあえず、パソコンの電源を落としていると、その様子を見ていた美里が口を開いた。
「幹事なら早く行かなくちゃダメなんじゃないの?」
「あー……まぁ、そうなんだけどね。それでも一緒にどうかなって思ったんだよ」
美里の鋭い指摘に、御堂くんは残念そうに眉を垂れ、指先で鼻頭を掻いた。
「いいよ、先に行って。私と凛子でゆっくり行くから」
「まぁいいか。帰りでも……」
御堂くんは曖昧な表情を浮かべ、チラリと私の様子を窺ってきた。
私に何か話したいことがあったのだろうか。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
私が尋ねると、御堂くんは言葉を濁した。そして美里の方へ目配せする。美里もそれだけで何か感じたようで、軽く頷いた。
なんだろう……。
少し気になったけれど、今はそれどころではない。ぼうっとしていたら、歓迎会に遅れてしまう。
「じゃあこれ、店の地図。良かったら使って」
そう言って、御堂くんはスーツの胸ポケットから地図を出してくれた。
差し出された手は男らしく骨ばっていて、浅黒い。これは夏場の外回りで焼けたらしい。
冬を越えて春になっても日焼けしたままで、本人は少し悩んでいたみたいだけど女子には野性的でいいと好評だ。それを鼻にかけることなく、本人はまだ悩んでいるのだからさらに社内では「可愛い」と年上の人から人気となっている。
その人柄は得意先でも発揮されているらしく、営業成績は上位。私と美里も、そんな同期の活躍を嬉しく思っていた。
「ありがとう。迷わずに行くよ」
「おう、ちゃんと時間通りに来いよ。一分でも遅刻したら二人とも俺の隣だからな。じゃ」
私がお礼を言うと、御堂くんは軽く手を振って去って行った。爽やか、というのはこういうことを言うのだろう。
「一分でも遅刻したら御堂くんの隣だってさ。どうする?」
美里がいたずらに笑って聞いてくる。
「なんとしても間に合わせる」
私が冗談めかして小さく拳を握ると、美里はもっと笑った。
御堂くんの隣なら、緊張しない。だけど、例えどれほど緊張しようとも、隣に座るなら十夜さんの隣がいい。
心の中でそっと想いながら、私は美里と共に会社を出た。