恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
「そう? お母さん、もう行くからね」
母は私が言い返すのを気にも留めず、時計に視線を落として話を続ける。私とは別の意味で、母も取り乱していた。
昨日、単身赴任で県外にいる父が高熱を出してしまったのだ。
朝晩の冷え込みに、なにかと無頓着な父は体調管理がうまくできなかったよう。熱は未だに下がらないらしい。
だからと言って、わざわざ看病に向かうのは少々大袈裟な気もするけれど、近所でもおしどり夫婦として有名な父と母。
二人にとっては当たり前のことなのだろう。
父のことでアタフタする母は、恋する乙女のようで可愛らしい。
「気を付けて、いってらっしゃい」
私は少し口元を綻ばせながら、見送りの言葉をかけた。
恐らく母は、父のことで頭がいっぱいなので、私の様子には気付いていない。
このまま去ってくれれば……。
念のため両手は胸元に当てて、さりげなく衣服を隠した……が。
「いってきま……って、凜子! なんでそんなにお洒落してるの?」
「あっ……」
気付かれてしまった。いや、やっと気付いたと言うべきか。
ギクリと肩を引き攣らせながらも、ちょっとだけ呆れてしまった。
「凛子……いつの間に、そんな服買ったの?」
母は私の見慣れない姿に、爪先から頭のてっぺんまで視線を走らせる。
「き……去年のバーゲンで買ったの」
怪訝な顔で聞かれ、なんだかバツが悪くて俯きながら答えた。
本当は……違うけど。
今着ているワンピースは今日のために、慌てて昨日買いに行ったものだ。