恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
五分ほど歩いて駅に着くと、私達は足を止めた。
「じゃあ、私はここで。御堂くん、凛子をお願いね」
「おう、任せとけよ」
「もう、本当に大丈夫なんだけど……」
私の言葉は聞かず、美里は御堂くんに念押しすると、電車のホームへと歩き出した。
美里の姿が小さくなるまで見送ってから、御堂くんは私の方へ向いた。
「ほら、リンリン行くぞ。歩けるか?」
「だ、大丈夫だよ……ここまで歩いてきたんだから」
決して、しっかりとした足取り、とは言えないけれど、ちゃんとつまづくことなく、ここまで来られた。それに、バスステーションは駅に隣接しているので、美里と別れた場所からは二、三分もかからない。
「御堂くん、私もここでいいから」
「ダメ。ちゃんとバス停まで送らないと、安心できないから。で、何番乗り場?」
営業マンらしい押しの強さだ。私は仕方なく「五番乗り場」と答えると、一緒に歩き出した。
飲み屋が並ぶ場所では人通りも多かったけれど、本数が少なくなったバスステーションにはわずかな人しかいなかった。
「ここだから。もう大丈夫」
バス乗り場に着いた私は、“五番のりば”と記された標識柱の横に立って笑ってみせた。
「そっか」
御堂くんは何か言いたげに頷いた。
「御堂くん……?」
そういえば歓迎会の前も御堂くんの様子はおかしかった。何か言いたいことがあるような、そんな素振りだった。
今も言おうかどうか迷っているのかもしれない。私から聞いた方がいいのだろうか。
迷っていると、御堂くんの方から口を開いた。
「あの、さ……リンリンに話したいことがあったんだけど……」
「……うん、何?」
御堂くんは少し照れてたように、首裏に手を当てて眉をしかめた。バス停のライトに照らされた焼けた顔はほのかに赤く見える。彼のこんな顔は、仕事をしている時には見られない顔だ。
どうしたのだろうと思うと同時に、胸がドクンと大きく脈打つ。
「あのな……っ」
空気をいっぱい吸い込んだ御堂くんが、意を決したかのように、再度口を開いた――が。
「あっ……」
バスがエンジン音を鳴らしながら、私の横で止まった。表示されている行先は、私の家の方面だった。
御堂くんは開いた口をキュッと結び直し、変わりに弧を描いた。
「……バス、来たな」
「うん。でも、話が……」
「いいよ、大した話じゃないし。リンリン酔ってるから、話そうか迷ってたところだったんだ。また、いつでも話せるし」
御堂くんの顔はもう赤くなくて、目尻にはしわが入って。いつも見ている御堂くんの顔だった。
「そう……それなら……」
「あぁ、おやすみ」
私は気になりながらも、御堂くんに見送られて最終のバスに乗り込んだ。
また仕事の時にでもそれとなく聞いてみよう。大事な話だったら、仕事が終わってから飲みに行ってもいい。
そう思っていたけれど……。
結局それから御堂くんと話す機会はなかなか訪れなかった。
営業課は新しい取引先の開拓で忙しく、総務課も日々の業務に追われ、たまにすれ違う時に挨拶を交わすくらいになってしまった。
いつの間にか、話をしようとしていたことも、頭の中から薄れてしまっていた。
それでも、十夜さんのことはふとした時に、頭に浮かぶ。そして、その度に胸が苦しくなった。
あと少し……あともう少しで、十夜さんに会える。
最近、頭の中はそのことばかりになっていた。
そうして月日は流れ、いつしか待ちわびていた六月――むせかえるような湿気が漂う、梅雨の季節となった。