恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


「あら、普段いる子とは違うね」

 そう言いながら隣に腰を下ろす。普段いる子とは、たぶん翠さんのことだろう。

「その子はお客さんですよ。可愛いでしょう」

 十夜さんは商品を包みながら、そっと口添えてくる。
 お世辞でも可愛いなんて言われ、私の頬はすぐに熱くなった。

「と、十夜さん……っ」
「ほんと可愛らしい。十夜さんのお嫁さん?」
「いいえ! 滅相もない!」

 私が顔の前で両手を大きく振ると、女性に「あらまぁ、照れちゃって」と冷やかされた。
 嘘は言っていないのに。たぶん今の私は、耳まで真っ赤に染まっていることだろう。
 十夜さんが私のことを、変に褒めたりするからだ。
 その「可愛い」の一言が、私を慌てさせるためなのか、もしくは“妹のように”という意味なのかはわからないけれど……どちらにしても嬉しい。
(ただ……「女性として」……なんて、言葉も欲しくなってしまいます)
 決して口には出せない要求。可愛いと言ってもらえただけで、充分なはずなのに。
 貪欲な自分に呆れ、ため息を吐いていると、女性が私の耳元に口を寄せてきた。

「お嬢ちゃん、十夜さんは人気だからね。早くものにしちゃいなさいよ」
「へっ!?」

 大胆なことを囁かれ、返事の声が上擦ってしまった。

「恋敵は多いよ。年寄りしかいない商店街でも、この店に限っては十夜さん目当てで、若い女の子がたくさん来るからね」
「え……そ、そんな……」

 女性の楽しげな瞳を、私は泣きそうになりながら見つめた。
 頭の中では、やっぱりと納得しているのに。心は現実の受け入れを拒んでいる。

「お待たせしました」
「はいはい、ありがとうね」

 十夜さんが包んだ商品を持って来ると、女性はひょこんと立ち上がった。彼から荷物を受け取ると、嬉しそうに笑い、出入り口の方へ歩いて行く。

「またいつでもご来店くださいね」

 女性を見送るため、十夜さんと一緒に外へ出る。気のせいだろうか、身体にまとわりつく空気が、店へ来た時よりも分厚くなったように感じ、雨の匂いもする。

「じゃあ、また来るからね。お嬢さんもまたね」
「はい、ありがとうございます」

 ひと気の少ない商店街へ、腰を曲げた女性が溶け込んでいく。その姿を十夜さんと一緒に見送っていたら、商店街のアーケードがパタパタと音を立て始めた。
 ついに降り出したようだ。

「あ、あのおばあちゃんは……」

 傘を持っていただろうか。心配になり、歩き出した背中を見やると、鞄から折り畳み傘を出していた。
 心配は無用だったらしい。逃げるようにして出てきた私とは違う。

「どうやら、大丈夫なようですね」

 十夜さんも私と同じ心配をしていたようで、ホッと安堵の息を吐いた。


 店内に戻ると、二人きりの店内に、屋根を叩く雨音がBGMのように響いていた。
 帰りはどうしようか……。
 考え込む私の側で、十夜さんは着物を丁寧にたとう紙で包みだした。

「本格的に降り出しましたね。凛子さん、傘は?」
「持ってない……です」
「では、お貸しいたしましょう」
「あ、でも……」
「こういう時は借りるものですよ」
「え?」
「そうしてまた、返しに来てください」

 雨の日の黒はより一層深さを増す。十夜さんの瞳もそれと同じ。
(雨音と共に……吸い込まれてしまいそうです)
 思考が上手く働かないままコクリと頷くと、十夜さんは言葉を続けた。

「ただし……」
「ご、五年後にはなりません!」
「よろしい」

 ああ……また子供扱いをされてしまっている。
 それでも今の微笑みを独り占めできている私は、とても贅沢だ。

* * *

 雨が降る中を、こんなに楽しく歩いたのはいつぶりだろうか。覚えているのは、子供の頃、新しい長靴を買ってもらった時くらいだ。
 十夜さんから借りた赤い和傘を仰ぎ見て、パタパタパタ……とテンポ速く打ちつける雨を感じる。
 とても、心地いい。
 顔が綻ぶのをごまかすように、着物が入った紙袋をぎゅっと抱え込んだ。
 十夜さんは着物を「別の日に取りに来ればいい」と言ってくれたけど、祐子に写真を送ってくれと頼まれていた。
 自分の晴れ着……。きっと裕子は楽しみにしている。私だって早く見せたいと思う。
 それに赤い和傘のおかげで気分がいいから、ちょっとした荷物くらいなんてことない。
 なんせ、十夜さんの傘なのだから。
 十夜さんもこの傘を使っているのだろうか。そうだとしたら……十夜さんもこの柄を……。
 思わず自分の手元をじっと見てしまう。間接的に手を繋いでいる……なんて、一瞬でも考えた私は変態かもしれない。
 どうか、誰にも思考を読まれていませんように。
 傘にリズムを刻み続ける雨と、同じ速さで脈打つ鼓動。それを感じながら、私は足早にバスへ乗り込んだ。
 ……傘、いつ返そうかな。
 窓の外で流れる色とりどりの傘を眺めながら、私はどの傘よりも鮮やかな赤い和傘をキュッと握った。

< 24 / 58 >

この作品をシェア

pagetop