恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


 視線を走らせるけれど、近くに彼女らしき姿がない。
 立ち止まった私達を避けながら、人で作られた黒い山はどんどんうごめいていく。

「美里!?」
「ミサミサー!」

 御堂くんと二人で呼びかけるけど、雑踏に掻き消されて遠くまでは届かない。携帯はさっきの入り口でも電波が悪かった。ここからじゃもっと繋がらないだろう。
 握りしめた巾着の中にある、役立たずの携帯電話がやたらと重く感じる。

「美里ー!」

 もう一度、黒い山々に向かって呼びかけるが返事はない。隣で探していた御堂くんは、背伸びをして大きく息を吸った。

「ミサ……美里ー!」
「……え?」

 張り上げた声で御堂くんは“美里”と呼んだ。いつもは“ミサミサ”だったのに。
 思わず御堂くんの方へ顔を向けると、表情は固く強張っていて「心配」の二文字が深く浮かび上がっていた。

「み、御堂くん……?」

 美里を心配している状況だというのに、場違いな疑問が頭に浮かぶ。

「あ……っ」

 御堂くんも気まずそうに小さく口を開いた。彼と目が合った一瞬だけ、祭囃子が遠くへ消えた気がした。

「凛子ー! 御堂くーん!」

 その瞬間を狙ったかのように、美里の声が耳に届く。
 私達がハッとして声の方へ向くと、美里が人波の隙間から現れた。その手には、夏空のように鮮やかなシロップが、たっぷりかかったかき氷を持っていた。

「……美里」
「ごめんね、かき氷食べたくなっちゃって」
「全く……一言くらい声掛けてから行けよ」
「だから謝ってるじゃん。あ、凛子も食べる? ブルーハワイだよ」

 細いプラスチックのスプーンで、一口分のかき氷をすくい私に差し出してくれた。しかし、まだ動揺している私は、うまくそれに答えることができない。

「……あ、れ?」

 無反応な私と、気まずそうにしている御堂くんを交互に見て、美里は差し出したスプーンをカップへ戻した。シャクリと涼しげな音が、耳の奥で響く。

「あ……のさ、リンリン」

 人混みの真ん中で、周りの迷惑を考えず立ちつくした私達。一番に口を開いたのは御堂くんだった。

「話したいって思ってたこと、なんだけど……」

 俯き加減で、私の様子を窺いながら喋る御堂くん。隣に立った美里は心なしか頬を赤く染めながら姿勢を正した。
 御堂くんが紡ぐ言葉の先を予想して、私は固唾を呑む。

「俺達、付き合ってるんだ」

 予想は見事に当たった。
 「同期で来るのも楽しい」なんて、浮かれていた自分が恥ずかしい。三人は同期で、仲の良い友達だと思っていたのは私だけだったのだ。

「ずっと言えなくてごめん。実はこの4月から付き合いだして……言おうとしたんだけどさ、なかなかタイミングなくて」

 御堂くんは気まずそうに鼻の頭を掻いた。

「あと、俺と美里だから喧嘩したり、短い間に何度か別れそうにもなって。リンリンに心配かけたくなかったし……二人の間が落ち着くまで黙ってたんだ」

 御堂くんの声はしっかりとしていて、言葉の一つ一つがよく聞こえた。
 歓迎会の時に話そうとしたり、それから間が空いたのはそういうことだったのか。

「凛子、黙っててごめんね」
「……あ、ううん……! なんとなく、そんな気がしてたから……」

 謝る美里に、私は首を振った。
 二人とも悪くない。同期として会社じゃ一番近い距離の三人だから、報告をためらう気持ちはわからないでもない。
 それに、思い返せば御堂くんとアイコンタクトを交わす美里を何度も見かけている。

「おめでとう……で、いいのかな。なんか、私まで照れちゃうね」

 へらっと口の端を持ち上げて見せる。上手く笑えているだろうか。
 曖昧な笑顔を浮かべていると、人がぶつかってきた。まだ人通りの多い道の真ん中で、立ち止まったままだったので仕方が無い。
 ぶつかられた拍子によろめいて、御堂くんから手を差し出されたが、私はその手を頼ることはできなかった。

「……私、帰ろっ……かな」

 並んだ二人から一歩距離を開けると、御堂くんは目を丸くした。

「え? 何言ってんの、リンリン! これから花火が上がるのに」
「そうだよ、凛子。別にいいじゃん、三人で楽しもうよ」

 美里も御堂くんも当然のように私を仲間に入れてくれようとする。でもそんな気分にはなれなかった。
 好きな人には別の人がいて、ここへ一緒に来ることが出来ず。更に、彼を忘れるために友達を好きになろうとさえ思っていた。挙句、友達のデートを邪魔しているのだ。
 ……なんて、馬鹿なんだろう。あさましい自分が嫌になる。
 自分の心の中と、お祭りの騒々しさがとてもアンバランスで、途端にどこにいるのかわからなくなる。
 ――ここにいたくない。

「花火は……いいや。二人で楽しんできて? 私、もう疲れたちゃったし……じゃあ、また会社で」
「ちょ、ちょっと……凛子っ」

 私は二人が止める声を背にして、駆け出していた。
 着慣れない浴衣が足にまとわりついてうまく走れず、途中で転びそうになりながらも走り続けた。
 とにかくその場から離れたい。
 その一心で走り続け、息が上がってきたので夜店の裏に回って立ち止まった。
 浴衣はじっとりと汗ばみ、暑さが増した。
 荒い呼吸を繰り返していると、途端に感情までもこみ上げてきて、喉が詰まる。

「……っく……」

 漏れたのは嗚咽。こんな年になって泣くなんて馬鹿らしい。いや、つい最近も十夜さんのことで泣いたではないか。
 頭だけは冷静で、自分の後ろにもう一人の自分が立っていて「なんで泣いているの?」と、見下ろされているような感覚だった。
 それでも涙は止まらない。
 人目が気になったので、袖で顔を隠し、声を殺して泣いた。
 何が悲しいのか、わからない。
 裏切られたと言ってしまうのは、かなり大袈裟な気がするし、そんな風には思ってもいない。この感情に当てはまる理由が一向に見当たらない。
(十夜さん……)
 こんな時にも頭に浮かぶのは十夜さんで、そんな自分にまたげんなりした。
 ――帰ろう。
 でも、その前に顔を拭かないと、涙でグシャグシャになっている。

「ハンカチ……っ」

 ハンカチを取りだそうと、小さな巾着を探っていると、落とした視線の先に下駄を履いた足元が見えた。
 私の前で止まったそれに、一瞬気を取られる。
 私に用があるのかと思いながらも、変な人に絡まれたくはないので、そのまま顔を上げずにいると、声を掛けられた。

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