恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
「えぇっと……うーん……と……」
顎に手を当てて唸るような声を上げていると、十夜さんがクスクスと笑いだした。
「凛子さんは、本当に真面目ですね」
「えっ、か、からかったのですか?」
真剣に考え込んでいたことが恥ずかしくなり、顔が火をつけたようにボッと熱くなった。しかし、十夜さんはそんな私にグイと端正な顔を近づけると、耳元で囁いた。
「からかったのではありません。真面目なところも好きだなぁ……と、再確認したまでです」
「と、十夜さん……っ!」
「そうやって、慌てるところも好きですよ」
耳元から唇を離した十夜さんは、やっぱり楽しそうに笑っていた。
恋人同士になってもこの調子。十夜さんのちょっとした言動に、私はいつも慌ててばかり。それが心地よくもあり、癖になってもいるけれど、たまには焦らせてみたい。
(大胆なことを言ってみたら、少しは驚いてくれるでしょうか……)
私は顔を引き締め、呼吸を整えてから口を開いた。
「で、では、十夜さんっ」
「はい、なんでしょう?」
「き……っ、キス……してください」
「おや」
「……お、おでこに……っ」
ああ、もう……かっこ悪い。大胆なことを言おうと気合いを入れたのに、結局最後には怯んでしまった。
私は恥ずかしくてたまらなくなり、両手で顔を覆った。
「凛子さん」
きっとまた、からかわれてしまう。
そう思っていたけれど、私を呼ぶ十夜さんの声は優しく、手首を掴んでくる手も温かい。
「凛子さん、顔を見せてください」
顔を隠していた手がなくなり、十夜さんと目が合う。艶めく黒い瞳が間近に迫り、胸がドキリと跳ね上がった。
「おでこでいいんですか?」
「……え?」
「もっと、求めてくれても構いませんよ」
十夜さんはクツリと笑うと、私の顔を覗き込んできた。この状態では脈打つ胸がうるさすぎて、先ほどのように「大胆なことを……」なんていう考えさえ浮かばなくなる。
「い、いいんです。それが、私のお願いです」
「可愛らしいお願いですね。何度でも、聞いてあげたくなる」
そう言うと、そっと前髪をかき分け、額にキスを落としてくれた。柔らかくて温かな唇に、頭の芯から蕩けそうになる。
ちゅっと音を立てて唇が離れると、逃げていく温かさが惜しくて、私は額を押さえた。
「十夜さんは……私にして欲しいことはないですか?」
いつも優しくしてもらったり、気にかけてもらったりと与えてもらってばかりだから、自分にできることがあるならしたい。
私が聞き返すと、十夜さんは嬉しそうに微笑んでくれた。
「僕はして欲しいことがありますよ」
「な、なんですか?」
てっきり「ありません」と言われてしまうのかと思った。私は、十夜さんの胸倉に食いつく勢いで尋ねた。
「今すぐ着物を脱いで欲しい」
「……え?」
しかし、十夜さんの口から告げられたのは理解できないお願い。
どう返事をすればいいかわからず戸惑っていると、十夜さんにグイと引き寄せられる。引き締まった胸板に頬を寄せる格好となり、私は目を瞬かせた。
「十夜さん、あの……っ」
「そうして、一日中……僕の腕の中へ閉じ込めておきたい」
「そ、そんな……」
十夜さんの腕が背中に回り、ゆっくりと力が込められていく。着物が崩れてしまうなんて心配はどこかへ飛んでしまい、頬が上気していった。
(……熱い。気温のせいではなく、着物のせいでもなく。全部、十夜さんのせいです)
「十夜さん、冗談はやめてください……っ」
このまま、またからかわれてしまってはいけない。
私は頬を膨らませ、十夜さんの胸を押しのけるようにして離れた。すると、十夜さんは眉を垂れ、困ったように肩を竦める。
「冗談ではないですよ。大好きな凛子さんがすぐ側にいるんだから。平静でいられるはずがない」
「と、十夜さん……っ」
あまりにも真っ直ぐに言われ、どう反応していいかわからなくなる。アタフタとしていると、十夜さんがクスリと口元を緩めた。
「しかし僕はご飯を食べる時、一番好きなものを最後に残してしまう性格なんです」
「ご、ご飯……ですか」
「だから、楽しみは最後にとって置くことにします」
「楽しみ……っ」
自分のことを言われているのかと思うと、かぁっと全身が熱くなった。
そんな私に気付いているのかいないのか。十夜さんはゆるりと手を差し伸べてくる。
「さて、お花見へでかけましょうか」
「……は、はい」
今日のメインはお花見だと言うのに、出かける前から心臓が暴れ出している。こんな調子で大丈夫なのだろうか。
私は自分が心配になりながら、そろそろと十夜さんの手を握った。