恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


* * *

 お花見は花火大会があった場所と同じ、市を横断する川の河川敷だった。
 抜けるような青空の下、満開の桜の木が立ち並ぶ堤防を十夜さんと歩く。ただそれだけなのに、夢心地でふわふわしている。

 十夜さんは春らしい白緑(びゃくろく)色の着物を纏い、桜舞い散る道を一歩一歩味わうように、ゆっくりと足を進める。着物に不慣れな私には、その歩幅がちょうどいい。

「あ……」

(もしかして、私に合わせてくれているのですか)

「どうかしましたか?」

 私が声を上げたので、十夜さんが目を丸くして尋ねてきた。

「いえ、あの……」

 お礼を言おうかと十夜さんを見上げると、彼は艶やかな黒髪に薄い桃色をした桜の花びらを乗せていた。

「……綺麗」

 思わず、口に出てしまう。しかし十夜さんは、自分のことを言われているとは思っていないらしく、そっと桜の木を仰ぎ見た。

「ええ、丁度いい頃に来られましたね」
「そ、そうですね」

 ごまかすことが出来て、ホッと胸を撫で下ろす。柔らかな風が吹き、花びらがざぁっと舞った。

 お花見は友達や会社の人達とも来たことはあったけれど、こうして好きな人と見る桜は初めて。他の人とはまた違う、心が躍り出したくなるような春を感じる。

 堤防の下では飲み会をしている人達が多く、騒がしい声が聞こえてきた。レジャーシートを敷き、おいしそうなお弁当を広げているカップルもいる。

「お弁当、作って来れば良かったですね……」

 なんで思いつかなかったのだろう。十夜さんとお弁当を食べながらだと、もっと素敵なお花見になったはずなのに。
 私が肩を落としていると、十夜さんは気にした様子もなく、穏やかに微笑んでくれた。

「来年はそうしましょうか」

(――来年も一緒に)

「はいっ」

 当たり前のように交わされる約束。それがとても嬉しかった。


 十夜さんと並んで歩き続けていると、私達と同じように堤防を歩いてお花見を楽しんでいる人達とすれ違った。
 着物を着ている私達は少し目立つ。すれ違いざまに「お似合いですね」と言われることもあり、こそばゆくて、ただ笑ってお礼を言った。

「若い人が着物なんて珍しいわねぇ」

 今も、後ろからのんびりとした女性の声が聞こえる。温かみのある口調は、お年を召した人なのかもしれない。しかし、相槌を打つ女性の声は少し若そうだ。

 周りに着物を着た人はいないので、恐らく私達のことだろう。振り向いて挨拶をした方がいいのかな……と思っていると、十夜さんが何か気付いたように足を止めた。

「この声……」
「十夜さん?」

 十夜さんに続いて私も振り返ると、そこには藤色の着物を着た白髪の女性と、その娘さんだろうか、十夜さんと同じ年齢くらいの若草色の着物を着た女性が二人で歩いていた。

「ああ、やっぱり。久恵さんじゃないですか、お久しぶりです」
「あら、益田さんのところの十夜さん。似ていると思っていたのよ」

 藤色の着物を着た“久恵さん”と呼ばれた女性は、嬉しそうに顔を綻ばせた。隣にいる、娘さんらしき女性も心なしか頬が赤らんでいるように見える。

「十夜さん、春らしいお着物でいいわね。素敵よ」
「本当に。桜の花もよくお似合いで」
「ありがとうございます」

 十夜さんを褒める二人は、きっとお店の常連さんなのだろう。二人とも綺麗に着物を着こなしていた。

「これから御茶会に出るんだけど、十夜さんもどう?」
「お母さん、それいいわね。十夜さんが来られれば、皆さん大喜びすると思いますよ」

 恐らく私の存在には気付いているはずなのに、二人は十夜さんを誘う。娘さんがさり気なく十夜さんの腕に手を伸ばし、可愛らしく小首を傾げた。
(ああ……あんな美人な方に迫られて……)
 お客さん相手にこんなことを思ってはいけないとわかっているのに、胸がモヤモヤしてしまう。私は知らず知らずのうちに、胸元で手を握りしめていた。

「せっかくのお誘いですが、僕はまだお花見を楽しみたいので」

 十夜さんは困ったように笑いながら、娘さんの手をそっと解いた。彼の返事を聞いて、二人は残念そうに顔を見合わせる。

「そうね、可愛らしい方ともご一緒みたいだしね」
「そちらは、十夜さんの……?」

 二人の視線が一気に私へ注がれる。十夜さんのお得意様だと思うと、妙に緊張してしまう。

「初めまして、凛子と申します」

 私はしゃんと姿勢を正し、頭を下げた。これで良かったのかと、チラリと十夜さんの様子を窺うと、蕩けてしまいそうなほど優しく微笑んでくれていた。

「凛子さんは、僕の大切な人です」
「十夜さん……」

 ハッキリと言ってくれる十夜さんに、胸にあったモヤモヤが消えていく。
 十夜さんの行動、言葉一つで簡単に気分が左右されるなんて。自分がこんなにも単純な人間だとは思わなかった。

「まあ、いいお話が聞けるのを楽しみにしているわ」
「では、またお店にお邪魔しますね」

 二人は私達のことを本当に喜んでくれているようだった。
 まだ、いいお話の予定はないけれど……そうなればいいなぁと願わずにはいられない。
 去って行く二人を見つめながら、私は十夜さんとの結婚生活はどんなものだろうかと、少しだけ想像してしまった。

「凛子さん、僕達もどこかでお茶でもしましょうか?」
「はい。どこか御茶屋さんがあるんですか?」
「ええ、この桜並木を過ぎたあたりに雰囲気のいいお店があります。オーナーの方がお得意様なんですよ」

 十夜さんの人脈はどこまで広いのだろうか。それでも、そういったところへ連れて行ってくれることが嬉しい。
 私が大きく頷くと、二人してまたゆっくりと歩き出した。

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