恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
* * *
家に帰ると、夕ご飯が用意されていた。喉越しがいい素麺だというのに、あまり食べられず、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。
「はぁ……やっぱり疲れてるんだ」
お風呂へ入り、気怠くなった身体でベッドへ飛び込むようにして寝転んだ。身体の重みに任せて沈むベッドが心地良く、天井を見上げて息を吐くと全身から力が抜けた。
ごろりと一回転していると、枕元に置いたスマートフォンがメールの受信を告げた。
「十夜さんかな?」
少し浮かれながらそれを手に取り、画面を操作すると……。
「健一君……!」
私は勢いよく起き上り、スマホを両手で包み込むようにして文面を読んだ。
『今日はビックリしたよ。まさか偶然に会えるとは思っていなかった。明日、もし良かったら仕事後に会えないかな?』
心臓がドクドクと脈を打っている。
健一君とはもうお互いに何の感情もないし、今日食堂で会った時のように気分転換になるかもしれない。でもここで会うと言えば、十夜さんを裏切ることになるのだろうか。
「それは……できない」
私には十夜さんに黙って、健一君と会うなんてできない。今日食堂で会ったことさえ、すっかり報告し忘れてしまったんだから。そのうえ会うなんていうこと、できない。
十夜さんに説明すればいいのかもしれないけど、疲れている彼にそんな時間を取らせるのは嫌だ。それなら、健一君とはもう少し落ち着いてから会うことにすればいい。
『ごめんね。明日は手伝いが遅くまであるから……また今度』
メールを作成すると、文面の確認もせず、すぐに送信した。
焦ったかのように勢いで返信したのは、蘇った懐かしさに甘えてしまいそうな自分もいたからかもしれない。
少し経つと、健一君から返信があった。
『そっか、残念。また誘うよ。それじゃあ、おやすみ』
文末にはにっこりと笑った顔文字があった。その笑顔にホッと息を吐く。
私も『おやすみ』とだけ返信し、スマホを充電器にセットした。少し早いけどこのまま寝てしまおう。
電気を消し、ベッドへ入ると、改めて明日が久々に本格的なお休みだということを思う。
せっかくだから朝寝坊して、パンケーキでも焼いて生クリームをたっぷり乗せて、贅沢な朝食にしよう。昼食は美里でも誘ってカフェにランチでも……。
そう考えながら、事前に美里を誘っていなかったので、御堂君とデートかもしれないと気付く。
「十夜さんは……お仕事」
真っ暗な天井に向かってポツリと零すと、妙に心の中が寂しくなった。
「会いに行こうかな……」
仕事を挟むからモヤモヤしてしまうのかもしれない。いつも通りに、お客さんとして十夜さんに会いに行けば……また和やかな時間が過ごせるかもしれない。
そう思うとなんだか明日が楽しみになってきた。私は緩む頬を抑えながら、眠りについた。
* * *
今日は少しだけお洒落をしよう。
十夜さんとデートする時に着ようと思って、買っていたワンピースをまだ一度も着ていなかったことを思い出した。
クローゼットを開けて、ビニールの袋に包まれたそれを手に取る。シフォン素材の小花柄のワンピース。ノースリーブのシャツの形になっていて、膝丈ではあるが涼しく見える。
メイクもお手伝いの時より少し時間をかける。マスカラを重ね、色がついたグロスを塗った。
十夜さんは、一人の時は昼前に休憩へ行くと言っていた。お母様は来るかもしれないけれど、たぶん十夜さんに合わせて昼前に来ていると思う。
そう予想して、私は昼過ぎに家を出た。
* * *
「……なんだか、変な感じ」
いつもは休日にショッピングとしてやって来ていた施設も、ここ最近はお手伝いとして来ていたので、こうしてブラリとやってくるのは久しぶりで不思議に思えた。
学校が夏休みに入ったらしく、先週より学生が多い。親子連れもいれば、友達同士もいる。
「あ……益田呉服店の袋」
すれ違った女の子が、浴衣が入った益田呉服店の袋を持っていた。
花火大会は再来週の日曜日。浴衣を購入する人も多いはず。
十夜さんは一人で大丈夫だろうか。
私は歩調を速めて彼の元へ向かった。