色鉛筆*百合短編集
演劇部のエース



「寂しくなるね」


艶やかな黒髪を束ねながら、一葉が呟く。

半分物置と化している、薄暗い教室。

見る人によっては気味が悪い印象を受ける場所でも、彼女達にとっては何よりも大切な居場所だった。


「未来の大女優、ニイナ様が居るって言うのに……新入部員0なんて有り得ないわ!」

「あはは、自分で言っちゃう?」


栗色のショートヘアを揺らし、座っている椅子をガタガタと鳴らすニイナが、ふと立ち上がって。


「ね、最後に練習……付き合ってよ?」


最後。

その言葉が、一葉の胸に突き刺さる。


「良いよ。何やろっか?」


一葉はニイナに背を向けて、台本の詰まった本棚を漁り始める。

ニイナは、そんな一葉の耳元に唇を寄せて。


「キスの練習、しよ」


こう、囁いた。


「キス…?」

「そ。何れ大女優になる私には、絶対演技の中で必要になるものよ。好きでも無い人との、キス」


何だ。

動揺した自分がバカだった。

一葉は振り向き、冷静を装って尋ねる。


「何で、私?」

「そんなの、唯一私以外の演劇部員だからよ」


明確な理由を聞いて、一葉は漸く落ち着いた。

言葉の通り、女優になることを目指しているニイナ。

演技にはかなり貪欲で、この3年間色々なことをやって来たな…と、思い出が蘇る。


「喜びなさい、光栄に思いなさい。未来の大女優のファーストキスを捧げるんだから」

「はいはい」


そっと、顔を近付ける。

目を閉じると脳裏に浮かぶ、ニイナ1人だけでステージに立った最後の文化祭。

照明、音響等の裏舞台は一葉が担当した。

それは……表面的に見れば、ニイナだけしか居ないステージだったかもしれない。

しかし…声、動き、ニイナの演技が魅せた。

まるで何人もの配役が立ち並び、演じているかのように。


「っく…」


一葉は泣いた。

押し当てられた、震える唇の感触で。

様々なことを思い出して。

涙が止まらなくなった。


「いか…行かないで……ニイナ…」


中学を卒業すると、別々の道。

一葉は地元の公立高校。

ニイナは演劇部の名門の私立高校。

きっともう、交わることは無いだろう。


「一葉、さようなら」


たった一筋だけ涙を零し、凛々しく微笑むニイナを。

思い出のこの場所で、見送った。



‐‐――


あれから、数年。

彼女は言葉通りの人生を歩み、大女優の座を手にした。

舞台にドラマ、映画にバラエティーまで。

テレビに映らない日が無いくらいに、時の人となった。


「ほらニイナ、新しいドラマ始まったよ」


一葉の傍らで眠る彼女を起こそうとするものの、普段充分な睡眠を取れていないニイナが目覚める気配は無い。


「もう…」


小さく溜息を零し、今度は目の前のニイナで無くテレビの中のニイナを見つめる。

自分と共に演劇をしていた頃よりも、数段とレベルの高くなった演技。

彼女が映るだけで、どれだけ陳腐なシナリオのドラマだって、魅力的になる。



何年も音信不通だったニイナから連絡が来たのは、彼女がメディアに露出し始めてからのことだった。

半ば諦めながらもそれを待ち構えるかのように、あの時から連絡先を全く変えていなかった一葉。

勿論、彼女への特別な思いも。


【行かないで!貴方を………愛しているの!!】


テレビの向こうのニイナが、懸命に訴える。

久々に再会して突然、告白されるとは思わなかったが……お互いに気持ちが変わっていなかったと言うことが嬉しくて、気にならなかった。

ニイナは仕事が忙しくてなかなか一緒には居られないが、こうしてたまのオフ日は同棲するマンションでゆっくり過ごすことが出来る。


「ん……かずはぁ…?」


すっぴんで髪も乱れてて、Tシャツに短パンと言う無防備な寝顔を見られるのは…私だけ。


「おはよう、ニイナ」


あの時は、最初で最後だと思っていたキス。

もう…何回交わしたか分からないぐらい繰り返したその行為を、一葉は寝起きの大事な大事なお姫様にした。



END..
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