『無明の果て』
「麗ちゃん、どうかした?」


立ち止まった私の先を歩いていた一行は、振り返りながら静かに聞いた。



「ううん、何でもないの。

あの店に行く事は、もうないんだろうと思って。」


でも本当は、通りの遠くに小さく涼の姿があったんだよと、涼もちゃんと気付いていたよと、その事をなぜか一行には言ってはいけないような気がして、私はもう一度小走りで一行の隣に並んだ。



私が今ここですべきことは、一行と涼を会わせる事とは到底思えず、もう妻となった私が、夫である一行の心を乱すかもしれないきっかけを、わざわざ知らせる事はないのだと、そう思ったのだ。



もう一行は、自分の心に従うだろう。


この大きな手は、見えない何かに、きっともう触れているんだろう。



「麗ちゃん、涼に会えなかったね。」


「うん。

もしかしたら、近くにいたのかもしれないね。」



「涼は、プロになるまで俺達に会わないつもりかな。」


「どうかな。

もしそうなら、一行はどうするの?」


「どうしたらいいかなぁ。

涼がそれで頑張れるんなら、その方がいいのかなぁ。」



私は返事をしないまま、考えていた。



永遠の時間なんて誰もつかみ取れない事を知っているから、無駄だと感じる時間もたぶん必要なんだろうと。



泣いたり、笑ったり、怒ったり、苦しんだり、後になって身に染みてくる本当の意味を、こんな風にして理解出来る大人になって行くのだろうと。



自分のために他人が存在しているわけでは無いことを、ずっと問いながら、もがき生きて行くんだろうと。



「ねぇ一行。

園さんは一行の事が本当に好きだったのね。
歌を聞いて良く分かったわ。


聞く前までは過去の事だと思っていたけど、一行の曲だから歌い続けているのかもしれないわね。」



「そんな事言われたら、どう返事したらいいのか分からないよ。」


「一行、私の所に電話かける前に、園さんに電話したでしょ。

正直に言ってもいい?」



「あれは、涼の事聞こうとして…」
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