【中編】桜咲く季節に
珍しく起こされる前に起き、緊張して朝食も喉を通らない自分が信じられなかった。

心配する母の視線から逃げだすように、『寄りたいところがあるから』と、早めにアパートを出たが、今思えばそれが良かったのだと思う。

こうしてお気に入りの場所で風に舞う桜を眺めていると、どんどん心が落ち着いてくる。

新しい会社で始まる、新しい生活。

期待に胸を膨らませ、少しの不安を掻き消すように、瞳を閉じて一つ深呼吸する。

「最初の挨拶が肝心なんだ、第一印象ってのは大事だからな」

ポツリと呟くと、ふと思い出したように、母に無理やり持たされたサンドイッチと缶コーヒーを取り出した。

どんなときでも飯だけはちゃんと食えと、死んだ父親がうるさく言っていたのを思い出す。

初出勤ならば尚更の事、朝飯を食って脳に栄養を送っておかないといけないだろう。

「しっかりしろよ俺。頭が働かなかったら終わりだぞ」

自分に言い聞かせるようにサンドイッチを頬張ると、チラリと左腕の時計を見る。

出勤時間にはまだかなり余裕があった。


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