唯一無二のひと


その時、由紀恵はボトルの紹興酒を頼んだ。

ウエイターにグラスの数を訊かれ、少し考えてから『二つお願い』と言った。



間もなく、黒いハイネックのセーターにグレーのツイードのジャケットを羽織った島田が現れた。


秋菜が小学二年の時に会ったきりの、久しぶりの再会だった。


島田は秋菜を見ると、柔和な笑顔を見せた。


『こんにちは。秋菜ちゃん。
大きくなったね』



騙された……

こういうことだったのか。


秋菜は返事をしなかった。


黙り込んでしまった秋菜のせいで、高級中華は気まずいものになった。


それでも由紀恵は諦めなかった。


三人で囲んだ円卓の料理を褒め、いかにも楽しげに振舞った。


そして最後の皿が下げられ、後はデザートの杏仁豆腐だけ、という時。


由紀恵は満を持したように言った。





『ママね。近いうちに島田さんと結婚しようと思うの』



来た…と思った。



最悪だ。悪夢だ……


食べる気が失せた。


島田と繋がるなんて嫌悪感しかなかった。


『…どうぞ、ご自由に。
そしたら、私はでていくから』


秋菜は食事の途中で立ち上がり、テーブルにナプキンを置いた。


由紀恵が何か言っていたけど、無視して早歩きで店を出た。



あてもなく彷徨う。


涙が込み上げてきた。

分かっていた。
気が付いていた。

見て見ぬ振りをしていただけだ。


今夜の豪華な食事。


それだけではない。

今、着ている深緑色のリボンの付いたブレザーの制服。
ローファーの黒い革靴。


今、身につけている物ほとんど全て。


皆、島田のお金で買ったものだ。


今日、高校を卒業出来たのも、島田のおかげ。


秋菜が小さな頃からずっとずっと、島田が陰で支えていた。




ーー私は不倫の男のお金で大きくなった…


どんなに否定しても、母の愛人に育てられたという事実は変えられない。

惨めだった。





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