リアル
 一点を見つめ惚けていた。何を見ているわけでもない、でも何かから目が動かせない。
 下から聞こえてくる物音のお陰で、やっと目が動かせた。床に置いたままにしていた冷めたコーヒーを乾ききった喉に入れる。
 部屋の中は朝の雰囲気でいっぱいだった。
 思いきったように立ち上がり、洗面所に向かう。
 鏡に映る自分の顔はやっぱり引きつった泣き顔で、心配してくれと顔に書いてある気がした。
 顔を洗い歯を磨いても頭の中までは洗えない。
 居間に入ると母さんが台所に立って、弟が朝食を食べていた。何も言わずいつもの場所に座る。
「おはよ、御飯は?」
「いらん」
「ちょっとでええから食べりーや」
「ええ、コーヒーちょうだい」
 母さんが申し訳なさそうに聞く。
「あんた、仕事はええの?」
「休み貰ったけー大丈夫」
 ほんとは大丈夫じゃないんかもしれんけど。
「それやったらええけど」
 少しだけ安心したように母さんが言った。
「いまからキイチ来るけー、サトシんとこ行って来るわ」
 洗い物をする母さんの後姿に言う。
「気をつけりーや」
 俺の方を見ないまま母さんが言った。
 弟は何も言わないまま仕事に出掛けた。みんな何を言ったらいいのかわからないみたいだ。俺も何を話したらいいのかわからない。
 車のエンジン音が家の前で止まった。
 俺は何も言わず玄関に向かう。
「いってらっしゃい」
 家の奥から小さく聞こえた。
 車の中には昨日と変わらない二人の顔が見えた。
「ハルやっぱでんの?」
 車に乗りながらキイチに聞いた。
「お前電話してみた?」
「してない」
 タツの方を向くと、何も言わず首を振った。
「あいつ、大丈夫なんかなー」
 キイチが言った。誰も何も答えない。
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