ドメスティック・エマージェンシー
「ライオンだっ」

一応大人だから、という理由で足早に檻に駆け寄るが目を輝かせ口を無防備に開けている。

私はゆっくりと近寄る。
その間、空を仰いだ。

雲は黒々と染まっていて、今にも矢を落としそう。

休日ということもあり、やはり混んでいた。
家族連れや友達同士で、私たちのように恋人と来ている者もいる。

みんな、この間は動物臭いことなど忘れているのだろう。

こんなにも人はいるのに気温は低い。
そのくせ湿気が嫌がらせのようにまとわりついてくる。
振り解くように頭を振るが、何とも頑固な湿気だ。

葵の横に並ぶ。
嬉しそうに、ただ寝ているだけのライオンを「触ったら気持ち良さそう」と手をもぞもぞと動かしながらこっそり呟いている。

彼の頭の中ではライオンはどのように戯れているのか。

じゃあ触っておいでよ、としてやったりの笑みで意地悪を言い、ライオンを指すと「よーし、君を檻の下へ迎え入れよう」と頬を僅かに赤く染めながらその手を私の方へ向けた。

「嘘!ごめんごめん!」

泣き真似をして冗談が落ち着く。
私は改めてライオンを見据えた。

外に出ることを許されずに暇を持て余し、見られることへの屈辱感を隅に押しやったライオンの視線とぶつかり合う。

何となく私に似ている。

親近感が湧いて手を振るとライオンは、どうせ出してくれないんだろう、と言わんばかりに目を伏せた。







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