ドメスティック・エマージェンシー
私たちは色んなとこを回った。
猿が間抜け顔でりんごを食べていたり、象は存外私たち二人に興味津々だったり、イルカの華麗に弧を描いたジャンプに魅了された。

次はどの動物を見ようか。
生きている動物たちは私たちの好奇心を駆り立て、童心に返らせてくれた。

その時――

「お腹……ね、なに、食べ……」

葵の声が葉の隙間を通して途切れ途切れに言葉のパーツを差し込んできた。
鳥のさえずりよりも小さな声。
文字を捉え、必死につなぎ合わせていきながら煙草くさい手の主を誰か脳内で探ってみる。

平和な世界の裏世界。
私はそこへ連れて来られたようだ。

……この男によって。

「あんたは……」

上を見上げ、言葉を飲む。
仮面から覗いた鼻筋が高く、日本人離れしている。
陰によって見えない筈の瞳が氷柱のように私を突き刺した。

「名前名乗るん忘れてたな、そういや」

状況と口調の矛盾が生じる。
世間話のように、彼は第一声を発した。








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