愛罪
「…フーガね」
後ろから僕に向けて放たれた一言が、鍵盤を滑る僕の指先を停止させた。
軽く閉じていた目蓋をそうっと持ちあげ、僕は首だけで眠っていたはずの彼女へと振り返る。
約一時間もの仮眠、いや睡眠から目を覚ました彼女は、髪を手櫛で適当に整えてイスから腰をあげた。
薄いレースを巻いたような上品なワンピースは皺ひとつつかず、彼女の細い太ももを隠すよう揺れる。
「続き、弾いて聴かせて」
部屋の隅に追いやるよう置かれた、黒いグランドピアノ。
イスに座る僕をさらりと横切ると、彼女は繊細な指先をピアノの体に軽くかけて演奏を促した。
「…起きた第一声がそれ?」
「いいじゃない。ショパンがあたしを目覚めさせたのよ」
「…そ」
ほら、と言うように唇で弧を描く彼女。
僕は多少の不満を隠したまま、彼女のリクエストに答えて再びショパンのフーガを奏ではじめた。