愛罪
ふと僕の指先は、操るための糸がぷつんと切れたように動きを止めた。
ただその可愛い声を追うように振り返ると、のそっと起きあがった瑠海と目が合う。
「お兄、ピアノひーてたの?」
寝起きの間抜けな声が、そう聞く。
僕は黙って椅子から腰をあげると、ぼうっとした表情でこちらを見る瑠海に近づいた。
彼女は長い髪に寝癖をつけ、ぱちくりと繰り返される瞬きが未だに眠気を物語っていた。
「起こしちゃった?」
ベッドにそっと腰かけて瑠海の髪を撫でてやると、彼女はにこりと愛らしく微笑んで首を横に振った。
気がつけば我に返っていた自分。
狂ったようにフーガを奏でていたのは、現実から目を背けたかっただけの憐れなもうひとりの僕だったのか…。
真意はわからないけれど、無意識にピアノを求め、現実逃避していたのは事実だ。
「お兄、寝てないの?」
ふと、瑠海が言う。
どこかに意識を置いていた僕は、軽く我に返って彼女を見つめた。
ほんの少し不安げな瞳が僕を見あげ、小さく首を傾げている。
「よくわかったね」
「おめめ、赤いから…ばぁばも、ときどき赤かったよ!服を作ってくれたとき!」
「……そっか。僕は、少し眠れなくてピアノ弾いてたんだ」
そういえば手芸をするとき、祖母は時間を忘れる傾向にある。
自分の目が赤く充血していることには些か驚いたけれど、微笑んだ僕を見て安心したように笑う彼女を見れば、そんなこと些末だった。