愛罪
木製のベンチと自動販売機、タオルや衣類が揺れる物干し竿。
ありふれた屋上の景色の中で、彼の姿だけが稀だった。
何か言わないと、そう思考を巡らせて言葉を紡ごうとしたとき。
僕から視線を外して正面を向いた雄司さんが、弱々しく口を開いた。
「…君のお母さんは、本当に素晴らしい人だった」
がくんと首を項垂れ、まるで独り言のように呟いた彼を僕は黙って見つめる。
フェンスを握る皺のある大きな手は、心なしか力を失っていっているようで、そのカウントダウンをどう止めようかとそればかりを考えた。
「…死を選ばせたのは、僕の責任だ……君に顔向けも出来ない……」
悩みがちっぽけに思えるほど広大な青空と、地獄しか待っていない眼下を交互に何度も見る雄司さんを見ていて、僕は気づいた。
彼を救えるかもしれない代物を、持って来ていることに。
「…今日あなたに会いに来たのは、これを見せたかったからなんです」
唯一の光を見つけた途端に嘘のように言葉が出て、僕はジーンズの後ろポケットから一枚の封筒を抜いた。
僕の仕草に気づいてか、雄司さんがゆっくりと振り返る。
「遺書です、母親の。どうか、こちらを向いて下さい」
手紙を手渡す前に、僕は無機質な瞳を見つめてやや強く、そう伝えた。
一か八かの選択ーー勝ったのは、僕だった。
雄司さんは何も言わずに僕と向き合う形に体を回転させ、先ほどよりしっかりとフェンスを握っている。