放課後ランチ
サボテンの主
「沢渡、進路のことで話があるんだが」
涼一は、そんな担任の声を背中でかわしながら校門に向けて駈け出した。
今からもどれば何とか三時からの「放課後ランチ」にまにあうだろう。
仕込みはもう済んでいるしウサギ林檎は母ちゃんと正志が用意してくれているはずだ。
「沢渡―っ!担任を蔑ろにするのもたいがいにしろ!返事くらいしろ!」
担任の上田は学園一の熱血教師として知られている。声が少しカン高く、
濃いめの顔をしているので仇名は京応学園の織田祐二。
「先生ーっ。すみません。俺、ランチの準備あるんすよ。
あと、何度もいいますけど俺、大学にはいきませんから。」
上田は、ずんずん遠くなっていく涼一の背中に向かって大声で言った。
「考え直すなら今だからな。クラス分けの後でやっぱ進学したいって言っても遅いんだぞ」
「大丈夫ッス。俺、そういう後悔だけはしないから」
涼一は地面を蹴りつける速度を速めて、校門をめざした。その間約3分。
その間にも涼一は自分に浴びせかけられる様々な声のシャワーをかいくぐり走り続けた。
「涼一、今度の岩校との練習試合、とりあえず出てくれよ。
部員全員でランチ食いに行くからさ」
「沢渡、頼む!その俊足を野球部に貸してくれ!」
「いいけど、店があるから俺!今日、店に食いに来てくれたら話聞きます」
笑顔で答える涼一に、野球部のキャプテンもバスケ部部長もため息をついて
かぶりを振った。バカ正直に飯を食いに行ったところで、
シェフの涼一には「ゆっくり話す」時間などないにも等しいことをしっていたからだ。
沢渡涼一十七歳は、高校生にして沢渡家の大黒柱であり、
老舗洋食屋「サボテン」のオーナーシェフという立場にある。
それは三年前に彼の父である沢渡俊哉が肺がんで亡くなって以来のことだった。
当時、中学二年生だった涼一は、その日から家族を守る一人前の男になった。
母親の雅恵の体が病弱だったことも、
十四歳の少年に大人になることを決心させた大きな理由の一つだった。
本当ならば涼一は中学卒業と同時に料理学校に入学するつもりだった。
高校で学ぶすべてが自分の人生にとってはお荷物でしかないと涼一は思っていたし、
店を続けるに際して、調理人資格はぜひとっておきたい資格だったからだ。
そんな涼一が京応高校に在学している理由のすべては母の涙にあった。
「お願いだから、涼一、高校ぐらいは出てちょうだい。
親のせいであんたの人生をめちゃくちゃにしたくないのよ」
べつにそれで自分の人生がめちゃくちゃになるなんて!
涼一は憤然としたものだったが、当時の母親は生来の病弱さに夫の死という
受け入れがたい現実がのしかかり、そのガラスのような心は崩壊寸前だった。
だから涼一はひとまず母親の言葉に素直に従うことにしたのだった。
その結果、涼一は京応高校に入学した。
京応高校は幼稚舎から大学まで続くバリバリの私立校だ。授業料もバカ高い。
オーナーシェフを失って、銀行が貸付金を回収に連日訪れていた
「サボテン」の経営状態からいって、その進学はありえない選択だった。
しかし、母親は京応への進学を熱心に勧めた。
「京応はおじい様の学校だから、お願いだから京応に進学してほしいのよ。
そうしたらお店の負債も全部、おじい様が払ってくださるんですって。
このお店のためにも涼一、お願い、そうしてほしいの」
そうなのだ。涼一の母親、雅恵は、全国で五本の指に入る京応学園理事長、
村山早雲の一人娘で、まさに世間知らずのお嬢様だったのだ。
それがなんでまた、下町の老舗といえば聞こえはいいが、
単なるぼろ洋食屋に嫁に来たのかは、推してはかるべしだが、
十五年も疎遠になっていた父親に母が当たり前のようにすがりつく姿は涼一にとって
面白いものではなかった。
村山早雲、涼一いわくじーさんが、この店に来たのは
父親が死んで十日も過ぎたことだった。
この下町ににつかわしくないやけに長い黒い車がサボテンの前にとまり、
側近を従えて羽織はかまの時代ずれしたじーさんが入ってきた。
涼一は、そんな担任の声を背中でかわしながら校門に向けて駈け出した。
今からもどれば何とか三時からの「放課後ランチ」にまにあうだろう。
仕込みはもう済んでいるしウサギ林檎は母ちゃんと正志が用意してくれているはずだ。
「沢渡―っ!担任を蔑ろにするのもたいがいにしろ!返事くらいしろ!」
担任の上田は学園一の熱血教師として知られている。声が少しカン高く、
濃いめの顔をしているので仇名は京応学園の織田祐二。
「先生ーっ。すみません。俺、ランチの準備あるんすよ。
あと、何度もいいますけど俺、大学にはいきませんから。」
上田は、ずんずん遠くなっていく涼一の背中に向かって大声で言った。
「考え直すなら今だからな。クラス分けの後でやっぱ進学したいって言っても遅いんだぞ」
「大丈夫ッス。俺、そういう後悔だけはしないから」
涼一は地面を蹴りつける速度を速めて、校門をめざした。その間約3分。
その間にも涼一は自分に浴びせかけられる様々な声のシャワーをかいくぐり走り続けた。
「涼一、今度の岩校との練習試合、とりあえず出てくれよ。
部員全員でランチ食いに行くからさ」
「沢渡、頼む!その俊足を野球部に貸してくれ!」
「いいけど、店があるから俺!今日、店に食いに来てくれたら話聞きます」
笑顔で答える涼一に、野球部のキャプテンもバスケ部部長もため息をついて
かぶりを振った。バカ正直に飯を食いに行ったところで、
シェフの涼一には「ゆっくり話す」時間などないにも等しいことをしっていたからだ。
沢渡涼一十七歳は、高校生にして沢渡家の大黒柱であり、
老舗洋食屋「サボテン」のオーナーシェフという立場にある。
それは三年前に彼の父である沢渡俊哉が肺がんで亡くなって以来のことだった。
当時、中学二年生だった涼一は、その日から家族を守る一人前の男になった。
母親の雅恵の体が病弱だったことも、
十四歳の少年に大人になることを決心させた大きな理由の一つだった。
本当ならば涼一は中学卒業と同時に料理学校に入学するつもりだった。
高校で学ぶすべてが自分の人生にとってはお荷物でしかないと涼一は思っていたし、
店を続けるに際して、調理人資格はぜひとっておきたい資格だったからだ。
そんな涼一が京応高校に在学している理由のすべては母の涙にあった。
「お願いだから、涼一、高校ぐらいは出てちょうだい。
親のせいであんたの人生をめちゃくちゃにしたくないのよ」
べつにそれで自分の人生がめちゃくちゃになるなんて!
涼一は憤然としたものだったが、当時の母親は生来の病弱さに夫の死という
受け入れがたい現実がのしかかり、そのガラスのような心は崩壊寸前だった。
だから涼一はひとまず母親の言葉に素直に従うことにしたのだった。
その結果、涼一は京応高校に入学した。
京応高校は幼稚舎から大学まで続くバリバリの私立校だ。授業料もバカ高い。
オーナーシェフを失って、銀行が貸付金を回収に連日訪れていた
「サボテン」の経営状態からいって、その進学はありえない選択だった。
しかし、母親は京応への進学を熱心に勧めた。
「京応はおじい様の学校だから、お願いだから京応に進学してほしいのよ。
そうしたらお店の負債も全部、おじい様が払ってくださるんですって。
このお店のためにも涼一、お願い、そうしてほしいの」
そうなのだ。涼一の母親、雅恵は、全国で五本の指に入る京応学園理事長、
村山早雲の一人娘で、まさに世間知らずのお嬢様だったのだ。
それがなんでまた、下町の老舗といえば聞こえはいいが、
単なるぼろ洋食屋に嫁に来たのかは、推してはかるべしだが、
十五年も疎遠になっていた父親に母が当たり前のようにすがりつく姿は涼一にとって
面白いものではなかった。
村山早雲、涼一いわくじーさんが、この店に来たのは
父親が死んで十日も過ぎたことだった。
この下町ににつかわしくないやけに長い黒い車がサボテンの前にとまり、
側近を従えて羽織はかまの時代ずれしたじーさんが入ってきた。