ラスト・ラブ -制服のときを過ぎて-

『あれ、話してなかったっけ?』

「聞いてないって言ってんじゃん」



携帯を肩に挟みながら、ドレッサーの三面鏡をのぞきこんでメイクを施していく。

電話越しに聞く杏子の声は、やけに快活だ。



『言ったつもりだったんだけどなあ』

「つもりでしょ。教えてよ、なんの資格の勉強を始めたのか」

『二度目でも怒らないでよ』

「絶対、二度目じゃないから」

『じゃあ、言うけど……』



ごくりと固唾を飲みこむ。

杏子が新たに始める仕事を、私なりに応援したい。

だけど。



『ちょっと、子どもは見ててって言ったでしょ』



その言葉は私に向けられたものじゃない。

電話の向こうにいる旦那さんに向けられたものだろう。


仕事を再開するのは、相変わらず乗り気じゃないと聞く。

今後もしばらく、杏子には気苦労が絶えないだろう。



『ごめん。で、なんの話だっけ?』

「杏子の資格の話」

『そうそう、それね』



一瞬の空白を置いて。



『医療事務よ』



なんだか決意表明するみたいに、杏子の口からなめらかにすべる。



「医療事務って、病院のレセプトとかの?」

『そう、それ』

「手に職つける系、好きだね」

『まあね。女が仕事しようと思ったら、資格のひとつくらい持ってるほうが何かと得でしょ』

「私、車の免許くらいで、何も持ってないや」

『じゃあ、これから頑張って』

「なんでそっちが言うかな」



今後も話しあいは続けられるんだろう。


自己主張は、大事だ。

もとは他人同士のふたりがひとつ屋根の下で暮らしていくのに、互いに譲歩しあうことは、もっと大事だ。

そんなことをつい最近、ちょっとずつだけどわかりはじめた気が、する。




もちろん、わかりはじめたのは。

< 101 / 103 >

この作品をシェア

pagetop