ラスト・ラブ -制服のときを過ぎて-
『あれ、話してなかったっけ?』
「聞いてないって言ってんじゃん」
携帯を肩に挟みながら、ドレッサーの三面鏡をのぞきこんでメイクを施していく。
電話越しに聞く杏子の声は、やけに快活だ。
『言ったつもりだったんだけどなあ』
「つもりでしょ。教えてよ、なんの資格の勉強を始めたのか」
『二度目でも怒らないでよ』
「絶対、二度目じゃないから」
『じゃあ、言うけど……』
ごくりと固唾を飲みこむ。
杏子が新たに始める仕事を、私なりに応援したい。
だけど。
『ちょっと、子どもは見ててって言ったでしょ』
その言葉は私に向けられたものじゃない。
電話の向こうにいる旦那さんに向けられたものだろう。
仕事を再開するのは、相変わらず乗り気じゃないと聞く。
今後もしばらく、杏子には気苦労が絶えないだろう。
『ごめん。で、なんの話だっけ?』
「杏子の資格の話」
『そうそう、それね』
一瞬の空白を置いて。
『医療事務よ』
なんだか決意表明するみたいに、杏子の口からなめらかにすべる。
「医療事務って、病院のレセプトとかの?」
『そう、それ』
「手に職つける系、好きだね」
『まあね。女が仕事しようと思ったら、資格のひとつくらい持ってるほうが何かと得でしょ』
「私、車の免許くらいで、何も持ってないや」
『じゃあ、これから頑張って』
「なんでそっちが言うかな」
今後も話しあいは続けられるんだろう。
自己主張は、大事だ。
もとは他人同士のふたりがひとつ屋根の下で暮らしていくのに、互いに譲歩しあうことは、もっと大事だ。
そんなことをつい最近、ちょっとずつだけどわかりはじめた気が、する。
もちろん、わかりはじめたのは。