ラスト・ラブ -制服のときを過ぎて-
ふいに、ノックもなしにドアが開かれた。
陽平がひょいっと顔をのぞかせる。
「用意できたか?」
すでに出かける準備を終えているらしく、暇を持て余しているようだ。
あとは私を待つだけなんだろう。
「もうちょっとだけだから、待ってよ」
頬骨に沿ってチークを載せ、口紅を引いて、グロスをなじませる。
『何なに、幸せそうじゃないの、そっちは』
今の会話が筒抜けになっていたんだろう、杏子がからかってくる。
「幸せっていうか、まあ、幸せだけど」
『そりゃそうか、一緒に住みはじめてまだひと月たってないんだっけ。大丈夫、そのうち、私みたいに言い争いが絶えなくなるから』
「そんな脅し、いらない」
『失礼ね、脅しじゃなくて忠告よ、ありがたく受けとめなさい』
忠告って。
どっちも大差はないと思うんだけど。
幸せいっぱいなのに、水を差すような真似は、やめてほしい。
「早くしろよ」
ドアにもたれかかる陽平は、不機嫌さ全開だ。
苛立たしげに腕を組み、こちらを鏡越しに冷然とにらみつける。
「もう、待ってって言ってるじゃない」
前髪をとめていたヘアクリップを外すと、ブラシを手にした陽平が髪の毛を丁寧に梳いてくれる。
さんざんぶうたれつつも、なんだかんだで、こういうところは優しい。
この人と一緒になって、よかった。
改めて、そう思う。
『何、今からお出かけ?』
「うん、実はね、今から婚姻届け、出しに行くの」
『へえ、ついにかあ。おめでとう、常磐(ときわ)さん』
「やめてよ、照れくさいじゃない」
常磐というのは、陽平の苗字で。
“永久不変”という意味があることを、婚姻届けの空欄を埋めている最中に教えてくれた。