ラスト・ラブ -制服のときを過ぎて-
「じゃあ、この間帰ってから?」
「さんざん文句言われちゃって、大変。連絡ないから安心したのが間違いだったみたい」
ため息をつきながら、杏子はビーフシチューをスプーンにすくって口に運ぶ。
「何度話しあっても平行線ばかりで、疲れる」
はた目にはわからないけど、幾度となく話しあいの場が設けられたんだろう。
だけども、折りあいがつくことはない。
いいことは何もないとわかっていても、互いの言い分がある以上、引くに引けない。
そんな状況では、両者とも心身がすり減るばかりだろう。
しばらくビーフシチューを淡々と食べつづけた杏子が、ふと、スプーンを手にしたまま、目を伏せた。
立ちのぼる白い湯気のかすみの向こうに見える杏子は、震えているのか、スプーンがわずかに揺れる。
カタカタと音が鳴らないのは、プレートから離れているからだ。
やおら頬づえをついて、視線はどこかに据えたまま。
「ないものねだりってことは、わかってる」
紅い唇が、動く。
独白じみていた。
けれど、やたらとずしんと重く心に響く。
「ないものねだりなだけ」
店内の喧騒は耳に届いているのに、なぜか杏子の言葉だけが脳内を占拠する。
ないものねだり。
ないもの、ねだり。
復唱するでもないのに、ぐるぐると回りながら、心の中心をえぐる。
もしかすると、和田梓もそうだったんだろうか。
宏之が私とつきあい始めたと知った時、彼女の中にもそんな気持ちが湧き起こっただろうか。
もう、会わないけど。
もう、確認のしようもないけど。
私も、そうなんだろうか。
手に入れられないのに、それでもなお、ほしいと切望せずにはいられないもの。
それをないものねだりと定義するのなら、私の結婚への願望も、ないものねだりなんだろうか。