キモチの欠片
***
金曜の夜、仕事が終わると香苗先輩は彼氏と約束をしているみたいで早々と帰って行った。
あたしは特に予定はなく、今日の晩ご飯は何にしようかな、なんて考えながらのんびりと着替えを済ませる。
会社を出て少し歩いたところで、後ろから声をかけられた。
「河野さん」
振り返ると、そこにはスーツ姿の男性がいた。
身長は百七十センチあるかないか。
少し長めの黒髪は整髪料できっちり整えられていて、少したれ気味の優しそうな目。
見たことあるけど誰だっけ?としばらく考える。
そう言えば取引先の人だったことを思い出し、記憶の中から会社名と名前を引っ張り出す。
たぶん間違いないと思い、頭に浮かんだ名前を口にする。
「えっと、加藤コーポレーションの郡司さん……ですよね?」
「そう。まさか、俺の名前を覚えてくれているなんて思わなかったから感激だな」
あたしが名前を呼べば嬉しそうに近寄ってきた。
一応受付をしてるし、何度も対応してると顔と名前は自然と覚える。
「こんなところで河野さんに会えるなんて思わなかったよ。もし、この後予定がないなら一緒に食事でもどう?いい店、知ってるんだ」
突然の食事の誘いに戸惑ってしまう。
それに、仕事中も郡司さんとは挨拶程度しか言葉を交わしたことがない。
だからこんな風にいきなり食事にと誘われても、二人きりで行ける訳がない。