あの夏よりも、遠いところへ

北野が笑った。息を吐くみたいな、静かな笑い方だ。


「本領発揮じゃないんでしょう」

「え?」

「今度はこっそり見ようかな。そわそわしてて、こっちが見てらんないんだもん」


気付けば、体育館には俺たちふたりだけになっていた。

夕陽のオレンジが北野の頬に差して、とてもきれいだ。

あ、きょうも寝癖がある。もう高校生なんだから、少しは気にしろよ。


「……また、来てくれるん?」

「うん。今度は清見の知らないときにね」

「そんなん毎回緊張するやん」

「知らないよ。勝手に緊張してれば」


北野らしいな。メンタルトレーニングしねえとなあ。


「それよりちゃんとテーピングしなよ。ピアノ弾くんだから」

「あー」


実は、俺がピアノを弾くということは、学校では北野しか知らない。本当は誰にも知られたくなかったけれど、あれは不可抗力だし、仕方ねえかなと思う。学校で弾いていたのも悪いし。

北野はショパンが好きだと言った。俺のピアノを聴いて、「誰にでも出せる音じゃない」と褒めてくれた。


どうしても北野が気になる理由は、たぶん、それがいちばんなんじゃねえかな。

どんどん心の中で思い出に変わっていく6年前の夏休みを、あの瞬間、すげえ鮮明に思い出したんだ。それはもう、泣きたいくらいに。
< 102 / 211 >

この作品をシェア

pagetop