あの夏よりも、遠いところへ
北野が笑った。息を吐くみたいな、静かな笑い方だ。
「本領発揮じゃないんでしょう」
「え?」
「今度はこっそり見ようかな。そわそわしてて、こっちが見てらんないんだもん」
気付けば、体育館には俺たちふたりだけになっていた。
夕陽のオレンジが北野の頬に差して、とてもきれいだ。
あ、きょうも寝癖がある。もう高校生なんだから、少しは気にしろよ。
「……また、来てくれるん?」
「うん。今度は清見の知らないときにね」
「そんなん毎回緊張するやん」
「知らないよ。勝手に緊張してれば」
北野らしいな。メンタルトレーニングしねえとなあ。
「それよりちゃんとテーピングしなよ。ピアノ弾くんだから」
「あー」
実は、俺がピアノを弾くということは、学校では北野しか知らない。本当は誰にも知られたくなかったけれど、あれは不可抗力だし、仕方ねえかなと思う。学校で弾いていたのも悪いし。
北野はショパンが好きだと言った。俺のピアノを聴いて、「誰にでも出せる音じゃない」と褒めてくれた。
どうしても北野が気になる理由は、たぶん、それがいちばんなんじゃねえかな。
どんどん心の中で思い出に変わっていく6年前の夏休みを、あの瞬間、すげえ鮮明に思い出したんだ。それはもう、泣きたいくらいに。