あの夏よりも、遠いところへ
黙って荷物を肩に掛け、体育館を出ると、彼も同じようにわたしの後ろをついてきた。
「……北野」
「なに?」
「あんな、俺にピアノ教えてくれたんは、初恋のひとやねん」
清見はわたしの隣に並ぼうとしなかった。わたしの一歩後ろを、わたしと同じ歩幅で歩く。変なの。しゃべるなら隣に来ればいいのにさ。
けれどどんな横顔を見せればいいのかも分からないし、わたしもなにも言わなかった。
「ショパン好きなんも、そのひとの影響」
「へえ」
雪ちゃんに似ているという、清見の初恋のひと。そして、彼の初恋は、おそらくまだ終わっていない。
彼女もショパンが好きなのか。どんなひとなんだろう。雰囲気も、雪ちゃんと似ているのかな。
どうして彼がわたしにそんなことを語るのかは分からない。
けれど、黙って、時には小さく相槌を打ちながら、ちゃんと聞いた。
たぶん彼はきょうもうちまで送ってくれるつもりなのだろう。まだ外は明るいのに、本当に真面目なんだな。
「……いままでずっと、誰にも言えへんかってん」
「うん」
「勝手にしゃべってごめん。けどなんか、北野には聞いてほしかった。北野もショパン、好きやからかな」
清見とわたしの接点といえば、出席番号が前後なことと、ショパンが好きなことくらい。
とてもつまらない偶然だと思う。つまらないけれど、それはまるで、奇跡みたいな偶然だとも思う。