あの夏よりも、遠いところへ
サヤのためかと訊かれたら、そんなのよく分かんねえけどさ。
でも、ピアノは、サヤの生きた理由だ。俺が弾かねえと、それがなくなっちまうような気がする。
あの夏、決めたんだよ。俺がサヤの生まれてきた意味になるって。決めたんだ。
だから俺は、ピアノを弾くことを辞めたりしない。
「ちょっと、蓮。ほんまなん? 音大に行きたいて」
「げっ。オカン!?」
右手だけでメロディーをなぞっていると、オカンの驚いた声に止められた。
スミレ、マジで言ったのかよ。面倒くせえ。
「いや、その……アレやん。ちょっと言うてみただけっちゅーかさ」
「でもあんた、めちゃくちゃピアノ好きやんか」
いやまあ、ピアノっていうか、サヤが。
「ええよ」
「えっ」
「行ったらええやん。オープンキャンパスとかやってんちゃうん? 行ってみたら?」
6年間、一日も休まずにピアノを触り続けてきたことにも、何か意味があったのではないかと思う。音大はちょっとだけ学費が高いって聞いたことがあるのに。
「もう蓮も大学生になるんやね。そら私も年取るわなあ」
ひとりごとのようにぶつぶつ言いながら、オカンは夕食の準備に戻っていく。
オープンキャンパス。……行ってみようか。そういえば、サヤのオカンって、近くの音大で教えてるんじゃなかったっけ。