あの夏よりも、遠いところへ
「スミレはな、放っておかれへんねん。兄ちゃんのこと」
キッチンから良い匂いがする。じゅわじゅわ、ぱちぱち。天ぷらか、フライか。オカンがなにか揚げている音が聞こえる。
「なんやねん、それ」
「分からん。でも、兄ちゃんが『サヤ』を忘れられへん限り、スミレは兄ちゃんが心配でしゃーないねん」
スミレはサヤにこだわる。いちいちその名前を出して、俺の反応をうかがってくる。
俺よりもサヤにこだわって、縛られているのは、もしかしたらスミレのほうなんじゃないかと思うほど。会ったこともねえし、顔さえも知らねえくせに。
「おまえはなんでそんなにサヤにこだわるねん」
「だって! だって兄ちゃん……しんどそうや」
「はあ?」
「もうおらんねんで? やのになんでそんなに『サヤ』ばっかりやねん。なにがそんなにええねんよ?」
サヤは嫌や、と。スミレは涙を我慢しながら言った。
「……スミレはな、スミレは、兄ちゃんのこと……めっちゃ好きやねんで」
同時に、大粒の涙がぼろっとこぼれた。
好きって。好きって、どういうことだ? 兄として? そんな一世一代の覚悟を決めたような顔をされると、兄ちゃんもさすがに戸惑う。
「言うとくけど、兄妹の『好き』とちゃうからな。清見蓮を、男として好いてるっちゅーことやからな」
「……は?」
こいつはいったい、なにを言っているんだろう。