あの夏よりも、遠いところへ
……どうして? どうして俺にはなにも言わなかったんだよ。
言ってほしかった。たとえ俺が、どれだけ非力なガキだとしても。
「毎日、沙耶のところに来てくれてありがとうね。あの子、今年の夏はほんまに体調が良かってんけど、きっと蓮くんのおかげやね」
「俺、なんも……なんもできてへん。だって俺、なんも知らへんくてっ……」
「ううん。ほんまはね、峠は8月中やって先生に宣告されとってんよ。それを引き延ばしてくれたんは、蓮くんや。……蓮くんなんやで、沙耶を生かしてくれとったんは」
サヤのオカンは泣かない。そういうところもサヤは母親譲りだ。
悔しいな。俺はやっぱり、サヤよりずっと子どもなんだ。
「教師になりたいいうあの子の夢を叶えてくれて、ほんまにありがとう」
棺桶の中に横たわる彼女はあまりにきれいで、とても立っていられなかった。
眠っているみたいだ。ありがちな表現だけれど、本気でそう思う。
目を覚まして、もう一度、蓮と呼んでほしい。あの透き通った瞳で見つめてほしい。その指で頬を撫でてほしい。
もう少しであの曲が完成しそうなんだ。聴いてくれよ。約束しただろ、なあ。
……サヤ。俺は、サヤのことなにも知らなかったんだな。
「……あ、う……うっ……サヤ、なんで……っ」
だってさ、俺、『岸谷』っていうサヤの苗字すら、きょうまで知らなかったんだぜ。