あの夏よりも、遠いところへ


引っ越しのこと、新しい学校のこと。お父さんはなんか色々と言っていたけれど、てきとうに聞き流しておいた。

それよりも雪ちゃんが気になる。彼女は今夜、夕食にほとんど手を付けなかったんだ。


「雪ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっとびっくりしちゃっただけ」


そんなこと言いながら、部屋に戻ってきても、今夜はピアノに触れようともしないんだね。

そりゃそうだよね。陽斗のこと、気になるよね。

わたしも、一番最初に頭に浮かんだのは、彼の顔だった。


「……陽斗に、言わないとね」


特に仲の良い友達もいないから、わたしはたぶん、引っ越しも転校もそれほど苦じゃない。面倒くさいとは思うけど。

けれど雪ちゃんは友達も多いだろうし、なにより、両想いの好きなひとが、ここにはいる。


「朝日ちゃんが……言ってくれる?」

「え?」

「朝日ちゃん、立川くんと仲良しみたいだし。伝えておいてくれないかな。私、夏休みはたぶん、立川くんに会わないし」


そんなふうに、淋しそうに笑っているくせに、わたしに頼むの? そんな大事なことを、わたしにさせるの?

雪ちゃんはいつだって、ずるいんだよ。


「……自分で言ってよ」

「え……?」

「わたしはわたしのお別れをちゃんとしてくる。でも、どうしてわたしが雪ちゃんの分までしなくちゃなんないんだよ」


わたしじゃ意味がないんだ。どうして気付かないの。むかつくよ、雪ちゃん。
< 61 / 211 >

この作品をシェア

pagetop