あの夏よりも、遠いところへ
もうそれだけでじゅうぶんだよ。
「……ありがとう」
「おれのほうこそ、ありがと。……好きになってくれて」
「ううん」
ううん。ありがとうって言ってくれて、ありがとう。
わたしみたいなやつに告白されて、そんなことを言ってくれるのは、たぶん、陽斗くらいだ。
「大阪、遠いけど、がんばって」
「べつに、どこに行ってもわたしは同じだよ」
「また学校さぼるんだ?」
「もうさぼらないってば!」
どこに行ってもきっと同じ。胸のもやもやはきっと、ずっと消えないままだと思う。
新しいクラスメートの恋バナも面倒くさいだろうし、お母さんの怒鳴り声は頭に響くんだろう。
いつまでたっても、大嫌いな世界からは抜け出せないままなんだ。
「いつか関西弁になって、東京に遊びに来てよ」
「なにそれ。やだよ」
それでも、こんなふうに見つけられる。案外簡単に、好きなものに出会える。
「……そういえばさ。おれはやっぱり、ショパンが好きだな」
それは、わたしにとっては、まるで空に触れられるほどの奇跡だったんだ。
陽斗に出会えたことは、この大嫌いな世界で起きた、数少ない奇跡だったんだよ。陽斗は信じるかな。
わたしは信じているよ。ねえ、だってこの奇跡は、不確かで大嫌いな世界で、唯一たしかなものだから。