あの夏よりも、遠いところへ
 ◇◇

ただいまあ、と玄関先で言うと、おかえりい、と高い声が返事をしてくれた。


「雪ちゃんだけ?」

「うん。お昼はチャーハンでいい?」

「うん、ありがと」


東京で暮らしていた一軒家に比べると、やっぱりマンションは狭いなあと思う。なにより、雪ちゃんの大切なグランドピアノが置けないことは、大きかった。


「お昼食べたら後片付けしておいてくれる?」

「いいよー。なんかあるの?」

「うん、ちょっとレッスンが入っちゃってね」


嬉しそうだなあ。ピアノ、本当に好きなんだ。

雪ちゃんはいま、音大に通っていて、好きなだけピアノを弾ける生活をしている。まだ1年生だけど、才能があるからって、先生たちからもかなり寵愛されているらしい。


「あ、それと、夕食は外で食べてくるからってお母さんに言っておいて」

「……陽斗?」

「えへへ、うん」

「どうせなら泊まってくればいいのに。陽斗はひとり暮らしなんだしさ」


陽斗はすごい。雪ちゃんが大阪の音大に行くって伝えたら、彼も同じ大学を受けたんだ。

2年半の遠距離恋愛を経て、ふたりはいまだ、仲良く付き合っている。

わたしも何度か彼と会ったけれど、なんだかとっても大人びちゃっていて、やっぱりわたしはふたりには追い付けないんだと痛感した。
< 70 / 211 >

この作品をシェア

pagetop