あの夏よりも、遠いところへ

何事も無かったかのように、教室からは次々と人が消えていく。夕陽のオレンジに染まる空間で、委員長はひとり、黙ってモップがけをしていた。

残るは委員長とわたしのふたり。じいっと彼女を見つめていたわたしを、その怯えた瞳が捕まえた。


「……あ、北野さん……帰らへんの?」

「馬鹿みたい」

「え……?」

「嫌なら嫌って言えばいいじゃん。あいつらだって同じ人間だよ。中学生かよ。気持ち悪い」


委員長はくちびるを噛みしめたまま、視線を落とす。そういうのがダメなんだ。真っ直ぐ前を見ていないから、イジメの対象になるんだよ。


「北野さんは、強いねんな」

「なにそれ」

「ええなあ、逞しくって。そんなふうに言うてくれたんは、北野さんがはじめてや」


そりゃ、あんな家で育っていれば、嫌でも逞しくなるっての。

そういえば委員長がこんなふうに話しているの、はじめて聞いたかもしれない。ちゃんと話せるんじゃん。いつもはなにを言われても黙ってばかりだから、知らなかった。

高くて細い、かわいらしい声で話すんだな。


「本当はわたしが文句言いたかったけど、それじゃ意味ないでしょ。自分で文句言いなよ」

「……ううん、ええねん。ありがとう」


そんな、泣きそうな顔で笑うくせに、なにがいいんだよ。よくないじゃんよ。

腹が立った。あいつらにも、あいつらに屈している、このか弱い人間にも。
< 75 / 211 >

この作品をシェア

pagetop