【完】『海の擾乱』

2 博多炎上

夕刻が迫ってきた頃、当の少弐景資は博多の郊外で、街道沿いの藪に潜んでいた。

「ここへ敵方の大将が来るとはまことか」

「博多を突破したらば必ず太宰府を狙うはずでございます」

進言したのは島津隊の斥候である。

「…来たぞ」

遠くから、十四、五騎ほどの騎馬と七、八十人ばかり歩兵を従えた、髭を長く臍あたりまでたくわえた大男が、馬のまま街道を駈けてきた。

景資は矢をつがえた。

満を持した。

来た。

放った。

矢は、大男の髭の真ん中、胸板を見事に射当てた。

大男が落馬したのを歩兵が数人がかりで抱きかかえ、蒙古軍は退却してゆく。

そこを景資隊は撃って出た。

「深追いはいたすな、生け捕りにせよ」

こうして追い払った大男が、捕虜から左副元帥の劉復亨である、と分かるや、

「それがわかれば取り逃がすではなかったに」

と景資はほぞを噛んだ。

劉復亨の負傷、という事態は少なからず蒙古軍にダメージであったようで、船へ退避の命が出るや、筥崎に火を放ち筥崎八幡宮を焼き、さらに博多にも火を放って、文字どおり煙に巻いての退却となった。

くどいがこの時期、日没は早い。

ちなみに太陽暦では十一月二十六日にあたる。



兵が船へ引き揚げた博多は焼き尽くされ、あちこちの浜や松林では焚火を燃して夜をしのぐ民衆で、あふれかえっている。

そのなかに謝国明たち博多のあきんどや平民の姿もあった。

「旦那さま」

訊いて来たのは倅の三郎である。

「なんじゃ」

「いったい鎌倉どのは」

どういった了見でありましょうや──とつぶやいた。

「それはわしには分からぬ。ただ言えるのは」

この戦は長引くやも知れぬということだ、と謝国明は冷徹な口調で答えた。

他方で。

筥崎の少弐隊の陣では夜営と太宰府と二手に分かれて陣を張ることが決まり、薩摩の二階堂隊(行藤のまたいとこの一門)と、筑前の原田隊が当番で出張ることとなった。

その他の菊池隊や竹崎隊などは太宰府と水城に分かれ、少弐景資は太宰府に宿営となった。



蒙古軍では都元帥の忻都、右副元帥の洪茶丘、高麗兵を率いる金方慶、金文庇により軍議となった。

忻都と洪茶丘は引き揚げ、金方慶は強攻を互いに主張し譲らず、左副元帥の劉復亨が重傷を負い、足掛かりを築けなかったのもあり、物別れに軍議は終わった。

夜半。

雷が鳴った。

「…雨か」

夏でもないのに珍しいな、と大友頼泰はいった。

「雨に紛れ夜討ちをせぬと限りませぬゆえ、鎧を解かずに夜営をせねばなりますまい」

雨脚は激しくなった。

「篝火を増やせ」

景資は家来に命じた。

謝国明たちの頭上にも雨が落ちてきた。

「雨か…縵幕を枝に張れ」

そういうと謝国明たちは、縵幕を枝に屋根のように張り、多少の雨露がしのげるように支度をさせたのであった。



明けて二十一日。

晴天である。

博多の二階堂隊から、

「蒙古の船が博多の海から消えた」

という早馬が来た。

景資と菊池武房、大友頼泰が兵を率いて博多までたどり着くと、凪いだ沖に浮く志賀島に蒙古船が一隻だけ座礁し、そこへ残党狩りの二階堂隊が三つ亀甲の旗を押し立てて群がっているのが見えた。

「これはどうしたことだ」

菊池武房には、何が起きたのか、さっぱり分からなかった。

「…昨日の雨が神風になったのだ」

誰かが後ろで叫んだ。

「…神風?」

景資は内心、

(神風などではない)

ただの奇遇に過ぎぬ──と直感でみていた。

現代でいえばたちの悪い低気圧によるものらしいが、気象学は現代ほどこの時代は発展はしていない。

(神風、か…)

そう菊池武房が思わざるを得なかったのも、無理からぬ話ではあった。

が。

どちらにしろ敵はいない。

当然、この幸運は鎌倉へ伝えられた。


鎌倉に早馬が来たのは霜月にあらたまってからである。

「執権どのの目論見どおりとなられました」

頼綱は時宗をたたえるような調子で声を張り上げた。

「…はて、素直に喜ぶのは早い気がいたしまするが」

と疑念を呈したのは宇都宮景綱である。

「敵が忽然と姿を消すは、何らかの策があってのことかと推察いたしまする」

この間に出来る手から打たねばなりませぬ、というのが景綱の意見である。

「宇都宮どの、我等は勝ったのでございますぞ」

「頼綱どの…勝って兜の緒を締めよという戒めもございますぞ」

頼綱は黙った。

「ともあれ、こたびはいわば嵐に助けられた面が強うございます」

何らかの手は打たねばなりますまい…と、口下手な極楽寺業時もそういう意見であった。

「では博多に石垣でも築かねばなりますまいな」

軽い調子で頼綱はいった。

「頼綱、それがよい」

しかるべき御仁に博多まで出張ってもらうよりないが…と、時宗がひらめいたのは金沢実政であった。

実時の子である。

「なるほど」

一堂は納得したようで、これをきっかけに新たに鎮西探題という役職が加えられたのであった。


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