【完】『海の擾乱』
第一部 六波羅の巻
1 六波羅の乱闘
奇怪な娘がある。
寺に預けられている孤児で、少女だというのになぜか水干に袴を穿き、太刀を佩いている。
「まるで白拍子か小姓や」
というのが、京の巷で囁かれる噂であった。
きけば、三十五歳で不遇のうちに薨去された、久我の大納言どのの姫君という話もある。
ちなみにこの時代、生母が卑しい出自というだけで、族譜からは外されてしまう。
「あれの母者は身分の軽き者にございますれば」
というのが、のちに家臣からきいた真相である。
行藤。
ゆきふじ、と読む。
姓は二階堂。
ところで。
検非違使、すなわち判官に任官されたばかりのこの若武者は、まだ十九歳でしかない。
が。
行藤の二階堂家は、並の侍ではない。
仇討ちで有名な曽我兄弟を一族に持ち、祖父の行義は鎌倉の幕府で評定衆に列せられ、父の行有も宮将軍こと宗尊親王の近臣である。
しかも、
「判官どの」
といえば、京の警察権を委ねられる仕事で、行藤自身も見廻りの任務がある。
果然、職掌がらさきの男装の娘の噂も耳に入るのだが、
「みなし児とはおよそ、そうしたものか」
というぐらいで、行藤には他は何の感懐もない。
いったい京は生き馬の目を抜く町で、鎌倉には少ない法華の門徒や、中には坊主なのに薙刀を担いで脅して回るなどというのは日常の沙汰であった。
男装の娘小姓ぐらいいても不思議はない。
で。
同時に行藤は幕府の御家人でもある。
ときには大番役として、六波羅の探題屋敷に伺侯するのだが、
「互いに父上どうし昵懇ゆえの、そちのように京に不馴れだと案じられての」
と、探題の極楽寺時茂から様子を気にかけられることもあった。
時茂の父は幕府の連署まで昇進した重時、兄はときの執権の北条長時という名家で、重時が行有を重用していたのもあり、時茂も行藤にはたいそう目をかけている。
歳が近いのもあって、行藤は極楽寺時茂が心強い先輩でもある。
事件があったのは、そうした六波羅からの帰途である。
洛中は騎乗の決まりがやかましい。
(馬に乗るにも朝廷に伺いを立てねばならぬとは)
行藤にすれば驚きであった。
鎌倉では考えられない事柄だが、京における鎌倉武士の扱いのほどが知れようというものである。
この日の行藤は鎧櫃を家来に持たせての徒歩での帰路、五条の橋にさしかかった。
前方から、
「人斬りやあっ」
という大音声がしたので向くと、五条橋の真ん中で、薙刀を担いだ小柄な小姓らしき者を多勢の侍が取り囲んでいる。
いわば行藤はとばっちりを食らった格好であったが、ここしか道がない。
仕方がない。
「回り道をいたすぞ」
行藤は家来に命じ、背を向けた。
「おい、そこの侍」
逃げるのか、と侍の一人が咎めた。
「ここは天下の往来ぞかし。そなたたちが道を塞ぐゆえ、仕方なしに回り道をいたすだけの話ではないか」
咎められる謂れはない──と行藤はしたたかに放言した。
すでに野次馬が集まってきている。
「なんだと!」
「それに一人を大人数で取り巻くとは、大の男がするようは所業ではない」
「なんだ偉そうに。まるで六波羅の者ではないか」
身なりを見るなり、行藤が風折烏帽子であることに気づいたらしい。
この時代、烏帽子のかぶり方ひとつで身分がわかる。
風折烏帽子という形は公卿の出や鎌倉でも立場ある武士しかかぶらない、特殊な烏帽子でもある。
「風折烏帽子ということは貴様、さては大番役だな」
六波羅の大番役、とわかった途端いきなり侍たちの顔色が変わった。
(まずいことになった)
と思われたらしい。
行藤もしまった、と思ったが、すでに相手は太刀の柄に手をかけている。
「こいつも斬ってしまえ!」
行藤は斬りかかられてかわしたが、直垂の袖を斬られた。
すると。
さっき囲まれていた小姓が太刀をかざして構えた。
「どけっ!どかねば斬るぞ」
囲んでた侍の一人を小姓が斬り払うと、一人斬り二人斬りと次々薙ぎ倒してゆく。
ブワッと血しぶきがあがった。
それまで集まっていた野次馬は、逃げ始めている。
行藤は屈んだ刹那、掴んだ石を敵の股に投げ当てた。
「ぎゃあっ!」
当てられた侍が、口から泡を吹いて倒れた。
余談だが「二階堂の石合戦」といえば手段を選ばないことで有名で、
──あれでは睾丸まで的にされる。
と、鎌倉の子供の間で、特に嫌がられた手法であった。
それは置く。
そうして体勢を立て直すと行藤は、今度は打ち捨てられていた薙刀で敵の脛を払ったのである。
「喧嘩では脛を打て」
斬るまでもない、といった作戦だが、いったいどこで行藤が身につけたのかは、現在となってはわからない。
残り一人二人となったところで、
「けっ、おぼえとけや」
と捨てぜりふを残し、逃散していった。
やれやれ、といった顔つきで埃を払い落とし、あらためて帰ろうとすると、
「…そこの大番役とやら、待て」
見るとさっきの小姓である。
「おまえに話がある」
行藤は戸惑った。
「…そなたは北条の者か?」
「いくら六波羅だからとて、みな北条というわけではない。それぐらい物の道理でわかるであろう」
「…偉そうなことを申すでない!」
睨み付けて言い返した。
が。
声が高く女っぽい。
「…そなた六波羅の者にしては見慣れぬ顔だが、新参か?」
「…それがどうかしたのか」
あとから聞いたが、いつもいさかいを起こすので六波羅衆にはかなり面が割れていたらしい。
「まあ好きなようにするのは構わぬが、橋で喧嘩はせぬが良い。喧嘩は敵に逃げ道をつくらねば思わぬ仕返しが来る」
「…ちょっと待て」
行藤は手首をつかまれた。
「そなた…何ゆえ、われを咎めぬのだ」
「咎めて直すようには見えぬゆえ、何も止め立てはせなんだ」
「しかも喧嘩の指南までするとは、そなたどこまで変わっておるのだ」
嘆息すると、
「その変わったところが気に入った。時折これからはわれにつきあえ」
そう言い捨てて去っていった。
寺に預けられている孤児で、少女だというのになぜか水干に袴を穿き、太刀を佩いている。
「まるで白拍子か小姓や」
というのが、京の巷で囁かれる噂であった。
きけば、三十五歳で不遇のうちに薨去された、久我の大納言どのの姫君という話もある。
ちなみにこの時代、生母が卑しい出自というだけで、族譜からは外されてしまう。
「あれの母者は身分の軽き者にございますれば」
というのが、のちに家臣からきいた真相である。
行藤。
ゆきふじ、と読む。
姓は二階堂。
ところで。
検非違使、すなわち判官に任官されたばかりのこの若武者は、まだ十九歳でしかない。
が。
行藤の二階堂家は、並の侍ではない。
仇討ちで有名な曽我兄弟を一族に持ち、祖父の行義は鎌倉の幕府で評定衆に列せられ、父の行有も宮将軍こと宗尊親王の近臣である。
しかも、
「判官どの」
といえば、京の警察権を委ねられる仕事で、行藤自身も見廻りの任務がある。
果然、職掌がらさきの男装の娘の噂も耳に入るのだが、
「みなし児とはおよそ、そうしたものか」
というぐらいで、行藤には他は何の感懐もない。
いったい京は生き馬の目を抜く町で、鎌倉には少ない法華の門徒や、中には坊主なのに薙刀を担いで脅して回るなどというのは日常の沙汰であった。
男装の娘小姓ぐらいいても不思議はない。
で。
同時に行藤は幕府の御家人でもある。
ときには大番役として、六波羅の探題屋敷に伺侯するのだが、
「互いに父上どうし昵懇ゆえの、そちのように京に不馴れだと案じられての」
と、探題の極楽寺時茂から様子を気にかけられることもあった。
時茂の父は幕府の連署まで昇進した重時、兄はときの執権の北条長時という名家で、重時が行有を重用していたのもあり、時茂も行藤にはたいそう目をかけている。
歳が近いのもあって、行藤は極楽寺時茂が心強い先輩でもある。
事件があったのは、そうした六波羅からの帰途である。
洛中は騎乗の決まりがやかましい。
(馬に乗るにも朝廷に伺いを立てねばならぬとは)
行藤にすれば驚きであった。
鎌倉では考えられない事柄だが、京における鎌倉武士の扱いのほどが知れようというものである。
この日の行藤は鎧櫃を家来に持たせての徒歩での帰路、五条の橋にさしかかった。
前方から、
「人斬りやあっ」
という大音声がしたので向くと、五条橋の真ん中で、薙刀を担いだ小柄な小姓らしき者を多勢の侍が取り囲んでいる。
いわば行藤はとばっちりを食らった格好であったが、ここしか道がない。
仕方がない。
「回り道をいたすぞ」
行藤は家来に命じ、背を向けた。
「おい、そこの侍」
逃げるのか、と侍の一人が咎めた。
「ここは天下の往来ぞかし。そなたたちが道を塞ぐゆえ、仕方なしに回り道をいたすだけの話ではないか」
咎められる謂れはない──と行藤はしたたかに放言した。
すでに野次馬が集まってきている。
「なんだと!」
「それに一人を大人数で取り巻くとは、大の男がするようは所業ではない」
「なんだ偉そうに。まるで六波羅の者ではないか」
身なりを見るなり、行藤が風折烏帽子であることに気づいたらしい。
この時代、烏帽子のかぶり方ひとつで身分がわかる。
風折烏帽子という形は公卿の出や鎌倉でも立場ある武士しかかぶらない、特殊な烏帽子でもある。
「風折烏帽子ということは貴様、さては大番役だな」
六波羅の大番役、とわかった途端いきなり侍たちの顔色が変わった。
(まずいことになった)
と思われたらしい。
行藤もしまった、と思ったが、すでに相手は太刀の柄に手をかけている。
「こいつも斬ってしまえ!」
行藤は斬りかかられてかわしたが、直垂の袖を斬られた。
すると。
さっき囲まれていた小姓が太刀をかざして構えた。
「どけっ!どかねば斬るぞ」
囲んでた侍の一人を小姓が斬り払うと、一人斬り二人斬りと次々薙ぎ倒してゆく。
ブワッと血しぶきがあがった。
それまで集まっていた野次馬は、逃げ始めている。
行藤は屈んだ刹那、掴んだ石を敵の股に投げ当てた。
「ぎゃあっ!」
当てられた侍が、口から泡を吹いて倒れた。
余談だが「二階堂の石合戦」といえば手段を選ばないことで有名で、
──あれでは睾丸まで的にされる。
と、鎌倉の子供の間で、特に嫌がられた手法であった。
それは置く。
そうして体勢を立て直すと行藤は、今度は打ち捨てられていた薙刀で敵の脛を払ったのである。
「喧嘩では脛を打て」
斬るまでもない、といった作戦だが、いったいどこで行藤が身につけたのかは、現在となってはわからない。
残り一人二人となったところで、
「けっ、おぼえとけや」
と捨てぜりふを残し、逃散していった。
やれやれ、といった顔つきで埃を払い落とし、あらためて帰ろうとすると、
「…そこの大番役とやら、待て」
見るとさっきの小姓である。
「おまえに話がある」
行藤は戸惑った。
「…そなたは北条の者か?」
「いくら六波羅だからとて、みな北条というわけではない。それぐらい物の道理でわかるであろう」
「…偉そうなことを申すでない!」
睨み付けて言い返した。
が。
声が高く女っぽい。
「…そなた六波羅の者にしては見慣れぬ顔だが、新参か?」
「…それがどうかしたのか」
あとから聞いたが、いつもいさかいを起こすので六波羅衆にはかなり面が割れていたらしい。
「まあ好きなようにするのは構わぬが、橋で喧嘩はせぬが良い。喧嘩は敵に逃げ道をつくらねば思わぬ仕返しが来る」
「…ちょっと待て」
行藤は手首をつかまれた。
「そなた…何ゆえ、われを咎めぬのだ」
「咎めて直すようには見えぬゆえ、何も止め立てはせなんだ」
「しかも喧嘩の指南までするとは、そなたどこまで変わっておるのだ」
嘆息すると、
「その変わったところが気に入った。時折これからはわれにつきあえ」
そう言い捨てて去っていった。