【完】『海の擾乱』

6 父と子と

行藤の離京、という問題は御所に少なからず波紋を呼んでいた。

「どないなってるのや…時村はんを呼びや!」

声を裏返して叫んだのは、行藤と旧知の関係にあった一条家経である。

すぐさま北条時村が御所の廟堂へ呼び出された。

「時村はん、…行藤どのはどちらへ行かはったのや?」

家経や満座の公卿が居並ぶ中、北条時村は針の筵に座らされているような有り様である。

「甲斐にございます」

「…甲斐? 何のためや?」

「領内に悪党が出たゆえ、掃討へ出張るとの由…」

「さような些末なことを聞きたいのではあらしゃらんのや」

慇懃な口調だが、端々には怒りがある。

「悪党の討伐ぐらい、わざわざ行藤どのが行くまでもないやろに、なにゆえ許可を出さはったのや?」

「…」

時村は黙った。

「…ふん、これやから東(あずま)の代官は困るのや」

家経は汚らわしいものでも見るような目で、時村に扇で下がれ、という手振りをした。



いっぽう。

当の行藤は甲斐の塩山寺を本陣に、悪党の掃討に取りかかっていた。

嫡子の定藤もいる。

定藤は最初こそ足がすくんだが、次第に斬るか斬られるかが醍醐味に思われるほど、一太刀二太刀と切り結んで刃を掻い潜ることに慣れてきた。

が。

定藤には疑問があった。

(悪党とはいえ、かの者共も)

鎌倉の悪政の生け贄ではないのか…という思いが、この若者にはある。

それは常日頃、行藤が定藤に諭すことでもあった。

行藤はそれを感じたのか、吉田の浅間大社へ参詣した折に、富士が見える境内で親子は腰を下ろした。

「その方に申しておかねばならぬことがある」

行藤はいう。

「悪党の退治をいぶかしく思うやも、定藤は分からぬであろう」

確かに。

行藤の悪党の退治は深追いをしない。

むしろ敢えて逃がすようなそぶりすらある。

「退治といいながら、なにゆえ悪党を父上は、討ち取らぬのでございまするか?」

よいか定藤、といい、

「かの者たちの首をはねたところで、次はわれら二階堂の者が恨みを買う。さすれば恨みには、際限がなくなってしまうのだ」

「しかしながらそれは鎌倉に楯を衝くことに、なりはしませぬか?」

「鎌倉の触れ書きでは領内から追い払えとあるだけで、それを建前通りにやっておるまでであろう」

確かにその通りで、生け捕りとはあるが、殺せとは書いていない。

「それでは、父上は何をお考えなのでございまするか?」

「そこからが申しておかねばならぬことよ」

行藤は竹筒の白湯を飲んだ。

「われら二階堂の者が生き抜くには、鎌倉の触れ書きに逆らわぬようにしながら、それでいて二階堂らしくあらねばならぬ」

「二階堂らしく?」

さよう、と行藤は頷いた。

「われらは北条の家来でも犬でもない。必ずしも従わねばならぬというわけではない」

「それが、二階堂らしさでございまするか?」

「さにあらず。正しきものを正しいといい、違うものを違うと堂々と胸を張っていえねばならぬ」

それが二階堂の気風である、と行藤はいった。

「わが祖父行義も、わが父行有も、そのために鎌倉の執権どのには煙たがられ、大した出世はいたさなんだ」

ただ二階堂の気風はそれでよい、といい、

「胸に芯柱さえあれば、出世なぞ世が変わればいかようにもできよう」

そこだけは忘れてはならぬぞ、と行藤はいった。



行藤の父子はついでで、鎌倉へ挨拶に出向いた。

珍しい行藤の出府に一時は騒がしくなったが、執権の時宗は会所ではなく、奥の対面所へ通した。

(また対面所とは珍しい)

行藤は硬直した。

時宗は対面の座に嫡男の貞時を連れている。

「行藤どの、これは嫡子の貞時である」

定藤に名を新たに与える、というと「貞藤」と書いた懐紙を時宗は取り出した。

「嫡男の定藤どのは、本日より貞藤とするがよい」

「…ありがたき仕合わせにごさいまする」

行藤は平伏した。

「われらは義理とはいえ、いとこ同士の間柄。今後もよろしゅうお頼みいたす」

珍しく時宗が頭を下げた。

「行藤どのにはこれぐらいしかしてやれぬが、今は許して下され」

「執権どの、お手を」

お上げ下されませ、と行藤は少し慌ただしい口ぶりでいった。

「行藤どの」

われら北条一門を、よしなにお願いいたす──とこの執権は珍しく弱音を口にした。

「一枚岩ではない鎌倉や、いつ背くか分からぬ朝廷と渡り合いながら、行藤どのは周旋されてこられた」

今はその力が要る時である、と時宗はいい、

「鎌倉を救うつもりで東下りのこと、お願い申す」

行藤は戸惑った。

「それがしは北条一門に非ず、いとことはいえ義理で血も繋がってはおりませぬ。かような者で御内人が納得いたしましょうや」

「そこで頼綱を導いてほしいのだ」

時宗から意外な言葉が出たのには行藤も、驚きを隠さなかった。

「頼綱はいささか見る幅が狭い。それゆえ」

行藤どののように見聞の広い方がおらねば危のうなる、と時宗は指摘をした。

(執権どのはお分かりであられる)

行藤は内心、少し安堵した。

「あの者が道を誤らぬよう、また貞時がしっかり動けるようにしておかねばならぬ」

時宗も人の親で、そこは貞時が気掛かりらしかった。

「されど後見には安達どのがおわしましょう」

「実時どのや時盛のおやじどのがおらぬ今、頼れるのは行藤どのしかおらぬ」

血筋に頼っては鎌倉は身動きが取れなくなる、といい、

「今こそ鎌倉のしがらみがない行藤どのしかおらぬのだ」

なにとぞ伏してお願い申し上げる、と時宗は再び頭を下げた。

「…お手をお上げ下されませ」

それには一つだけ手がございます、と行藤は、

「ならば連署を二人になされませ」

連署が二人ならば何かと利便もききましょう、と行藤はいう。

のちにこれは行藤自身の運命を変えるに至るのだが、まだ本人は知らない。

ともあれどうやら、

(頼綱とはしばらく付き合わされそうだな)

というのが、行藤の明快な結論の一つでもあった。

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