【完】『海の擾乱』
6 突然の解任
埋葬が、済んだ。
時宗ゆかりの円覚寺には仏日庵という堂宇が建立され、堀ノ内殿は落飾して覚山尼と名乗った。
その直後。
結局、覚山尼の強い意向で北条貞時が九代目の執権となって、連署は極楽寺業時が留任。
貞時の後見人は新しく安達泰盛が就任…といった人事が発表された。
同時に。
評定衆ならびに引付衆の新しい人事も決まった。
が。
どういうわけか、行藤はなったばかりの引付衆を解任されたのである。
「二階堂判官どのは」
執権に大仏宣時を就任させようと提言したことがまず咎められた。
「それはいわゆる誤解にございまする」
現に眼代は、極楽寺家から長時が執権となった前例がある。
「極楽寺長時どのという前例があるものを咎められるは、ただの理不尽にございまする」
行藤は反駁した。
が。
時宗急逝の折に早々と身仕度を整えたことは、あたかも時宗の死を歓迎しているかの如く受け取られてしまったらしく、
「これは安達どののご意向にございまする」
と、使者の長崎光綱は処断に対し、半ば同情的ないい回しをした。
「無論、こたびの処断には評定衆の方々からの反論もございましたが」
安達どののご意向とあらば致し方ございませぬ、と長崎光綱は溜息を洩らし、
「…ただ、このまま終わるようにもそれがしは思えませぬゆえ」
今が辛抱かと心得まする、と光綱はいった。
役職を解かれた立場の行藤は、
「ならば伊勢あたりにでも、遊山いたしとう存ずる」
と、当時にしてはかなり、無茶苦茶ともいわるべきことを要望した。
(無理をいい立てれば)
少しは鎌倉も懲りるであろう、という目算である。
長崎光綱は持ち帰るや言葉通り貞時と、後見役の安達泰盛に言上した。
すると、
「そうか…伊勢参りとな」
ならば望み通りにされるがよかろう、と安達泰盛が答えた。
驚いたのは長崎光綱の方である。
「まことに判官どのを伊勢へ旅立たせて、よろしいのでございまするか?」
不安げになった光綱は重ねて問うてみた。
「構わぬ」
鎌倉から離れたければ離れればよい、と安達泰盛は突き放し気味にいった。
「ではもし万が一にも判官どのが謀叛を起こしたらば、いかがなされまするか」
「そのときには、討てばよい」
光綱は内心、
(なんと冷酷な)
と、もしかすると御内人も従わなければ例外ではないのでは…と光綱は一瞬、安達泰盛という人物に恐怖をおぼえた。
いっぽう。
当の行藤は留守居を新たに召し抱えた斎藤兵衛次郎に委ね、藤子を供に六浦の湊から船上の人となった。
「なぜ船を?」
藤子にすれば不思議でならなかった。
「下手に東海道あたりで宿なぞ取ってみよ」
鎌倉から討っ手が来たらば何とする、と行藤は暗に、安達泰盛という人物に疑念を抱き始めているようであった。
「人は権柄を握ると性分が変わってしまう」
安達どのも昔は違ったお方であられたのだが、と続け、
「今は後見役の重圧からか、少しお人が変わられたように思われる」
行藤は言葉を選びながらもそう藤子に答えた。
向かった先は、
「そなた伊勢の神宮に参りたいと申しておったな」
やはり行先は伊勢のようであった。
時宗ゆかりの円覚寺には仏日庵という堂宇が建立され、堀ノ内殿は落飾して覚山尼と名乗った。
その直後。
結局、覚山尼の強い意向で北条貞時が九代目の執権となって、連署は極楽寺業時が留任。
貞時の後見人は新しく安達泰盛が就任…といった人事が発表された。
同時に。
評定衆ならびに引付衆の新しい人事も決まった。
が。
どういうわけか、行藤はなったばかりの引付衆を解任されたのである。
「二階堂判官どのは」
執権に大仏宣時を就任させようと提言したことがまず咎められた。
「それはいわゆる誤解にございまする」
現に眼代は、極楽寺家から長時が執権となった前例がある。
「極楽寺長時どのという前例があるものを咎められるは、ただの理不尽にございまする」
行藤は反駁した。
が。
時宗急逝の折に早々と身仕度を整えたことは、あたかも時宗の死を歓迎しているかの如く受け取られてしまったらしく、
「これは安達どののご意向にございまする」
と、使者の長崎光綱は処断に対し、半ば同情的ないい回しをした。
「無論、こたびの処断には評定衆の方々からの反論もございましたが」
安達どののご意向とあらば致し方ございませぬ、と長崎光綱は溜息を洩らし、
「…ただ、このまま終わるようにもそれがしは思えませぬゆえ」
今が辛抱かと心得まする、と光綱はいった。
役職を解かれた立場の行藤は、
「ならば伊勢あたりにでも、遊山いたしとう存ずる」
と、当時にしてはかなり、無茶苦茶ともいわるべきことを要望した。
(無理をいい立てれば)
少しは鎌倉も懲りるであろう、という目算である。
長崎光綱は持ち帰るや言葉通り貞時と、後見役の安達泰盛に言上した。
すると、
「そうか…伊勢参りとな」
ならば望み通りにされるがよかろう、と安達泰盛が答えた。
驚いたのは長崎光綱の方である。
「まことに判官どのを伊勢へ旅立たせて、よろしいのでございまするか?」
不安げになった光綱は重ねて問うてみた。
「構わぬ」
鎌倉から離れたければ離れればよい、と安達泰盛は突き放し気味にいった。
「ではもし万が一にも判官どのが謀叛を起こしたらば、いかがなされまするか」
「そのときには、討てばよい」
光綱は内心、
(なんと冷酷な)
と、もしかすると御内人も従わなければ例外ではないのでは…と光綱は一瞬、安達泰盛という人物に恐怖をおぼえた。
いっぽう。
当の行藤は留守居を新たに召し抱えた斎藤兵衛次郎に委ね、藤子を供に六浦の湊から船上の人となった。
「なぜ船を?」
藤子にすれば不思議でならなかった。
「下手に東海道あたりで宿なぞ取ってみよ」
鎌倉から討っ手が来たらば何とする、と行藤は暗に、安達泰盛という人物に疑念を抱き始めているようであった。
「人は権柄を握ると性分が変わってしまう」
安達どのも昔は違ったお方であられたのだが、と続け、
「今は後見役の重圧からか、少しお人が変わられたように思われる」
行藤は言葉を選びながらもそう藤子に答えた。
向かった先は、
「そなた伊勢の神宮に参りたいと申しておったな」
やはり行先は伊勢のようであった。