【完】『海の擾乱』

10 頼綱と泰盛


李義勇によって行藤の書状は経師ヶ谷の頼綱のもとへ届けられた。

いきさつが詳しくのべられてある。

「戦にならぬようにせよ、か…」

なるほど判官どのらしい、と頼綱はいったあと、

「もっとも安達どのが戦を仕掛けねば、の話だが」

といった。

何しろさきの博多での合戦でも、勇猛果敢で音に聞こえた安達隊である。

まともに戦っては勝ち目がない。

「戦は避けるように尽力はいたす、と伝えよ」

「承知つかまつりましてございまする」

李義勇はさがった。

影が消えた。

「…もう手遅れなのだ」

今少し早ければ、と頼綱は呟くと、行藤の書状をたたんで懐へおさめた。



十一月四日。

安達宗景に謀叛の嫌疑あり、といった理由で、七日に弁疏の機会を与えることが評議で決せられた。

七日。

当の安達宗景は、病を理由にあらわれなかった。

安達家の立場が立場だけに今一度、十四日まで待つという決定がなされ、異例というべき釈明の余地が与えられた。

そうして。

十四日。

安達宗景からの弁疏状が、この日から復帰した行藤によって評議の席で代読された。

「かしこまって申す」

という弁疏状は、まず安達家に反意がないこと、幕府から御内人を遠ざけること、御家人の大評定の場ですべてを明らかにすることがるると書かれてある。

読み終わるや、一部からは怒号があがった。

「姿もあらわさずあれこれ言い立てるとは、…宗景どのは腰抜けか!」

そうであろう。

二度まで弁疏の機会を与えた幕府の面目は、丸潰れである。

衆議が討伐で傾きかけたそのとき、

「申し上げまする。それがしは否、にございます」

末座からきっぱり行藤は言い切った。

「両方の申し分を聞いて公正に裁きを申し渡すのが、頼朝公以来の幕府の是にございまする」

聞かずに裁くのは式目に背く、というのである。

「代々の祖法に背いてまで安達どのを討たねばならぬ理窟が、それがしにはわかりませぬ」

大評定を開くべきにございまする、と行藤は主張したのである。

「そこで明らかになれば、無駄に血を流さず落着いたしまする」

言い終わらぬうちに、

「判官どの、申し条はわかり申した。だが」

今や後戻りは出来ぬ、と貞時はいい、

「振り上げた拳は、いつか下ろさねばならぬ」

察せられよ、と貞時は行藤をさがらせた。

安達宗景の追討が決まったのは、行藤が退出した直後である。

夕刻。

評議は、すでに果てた。

「…二階堂判官行藤、か」

誰もいなくなった御座所に、貞時の呟きだけが空虚に響いた。
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