【完】『海の擾乱』
11 霜月の乱
十一月十七日。
松ヶ谷の屋敷から安達泰盛は、出仕すべく執権御所へ急いでいた。
朝から何やら騒がしいのである。
「ひとまず御所へ向かうぞ」
と、嫡男の安達宗景を供に塔ノ辻の執権御所を目指した。
その頃。
行藤は先だっての評議の席での発言が不遜である、として禁足の処分を受け、することがなく庭をぼんやり眺めている。
「いったい…どうなるのでございましょう」
心配する藤子をよそに、
「まぁ世の中そうしたものよ」
後嵯峨上皇の院使をつとめた折に無断で六波羅へ帰って以来、二度目の謹慎であり、別に行藤にすれば痛くも痒くもない。
「それだけ幕府の頭が固い、ということよ」
先年の異国合戦からこのかた、まるで国が変わったようだ──と行藤はボソッと呟いた。
執権御所の門前では門番と安達泰盛が揉み合いになっていた。
「執権どのは病にございまする」
「ならばお見舞い申し上げねばならぬ」
「なん人なりとも会わぬ、と執権どのの仰せにございまする」
無理に入るのを止めようとすると、
「何故じゃ」
「そこまでは我等に分かりませぬ」
「ならば止め立ては無用に願いたい」
「お待ちくださりませ」
押し留めるのを、振り切るように入ろうとする。
その瞬間。
「…!」
矢が安達宗景の背中に命中した。
倒れた。
「若様、若様…!」
事切れている。
どこからかはわからないが流れ矢である。
すると。
御所の中から声を聞き付けた武者どもが十重二十重に泰盛主従を取り囲んで、
「安達どの、君命により捕縛いたす」
と呼ばわった。
「将軍が何ゆえあって捕らまえる」
「…故ありて、じゃ」
そこで頼綱にたばかられたことに気づいた。
「…ならば、是非には及ばず」
スラリと佩いていた太刀を抜いた。
間を詰める。
が、誰もが相手は鎌倉一の手練れであることを知っていた。
囲みながら誰も手を出そうとはしない。
取り巻きながら御所の白洲を進んでゆく珍妙な行列となってゆく。
御座所の白洲へ出た。
事態を聞いて馳せ参じた武者の数は増え、鎧や胴丸を着けた者すらある。
平七郎という武士が矢をつがえた。
泰盛は、
「討って功名とせよ」
といったが、気迫に圧され射ることが出来ない。
きざはしに片足をかけた。
リズミカルに登って刹那、太刀を首にあてがい、
「安達泰盛が最期を見届けよ!」
白刃を滑らせ、見事に自裁してみせたのである。
首を離れた胴体は、太刀をつかんだまま転がり落ちて白洲に横たわった。
夕刻。
永福寺下の二階堂屋敷の周りも何やら騒がしくなり始めた。
「戦支度を」
李義勇の進言に、
「鎧は着る。だが、戦はせぬ」
すなわち武装中立を宣言したのである。
「わが二階堂はどちらにもつかぬ」
この対応は、今まで白か黒かの二者択一を迫っていた頼綱に、
──活殺自在にならぬものがある。
という摂理を突き付ける結果となって、得宗家の専制が強まるなか二階堂家の存在を高める結末となった。
松ヶ谷の屋敷から安達泰盛は、出仕すべく執権御所へ急いでいた。
朝から何やら騒がしいのである。
「ひとまず御所へ向かうぞ」
と、嫡男の安達宗景を供に塔ノ辻の執権御所を目指した。
その頃。
行藤は先だっての評議の席での発言が不遜である、として禁足の処分を受け、することがなく庭をぼんやり眺めている。
「いったい…どうなるのでございましょう」
心配する藤子をよそに、
「まぁ世の中そうしたものよ」
後嵯峨上皇の院使をつとめた折に無断で六波羅へ帰って以来、二度目の謹慎であり、別に行藤にすれば痛くも痒くもない。
「それだけ幕府の頭が固い、ということよ」
先年の異国合戦からこのかた、まるで国が変わったようだ──と行藤はボソッと呟いた。
執権御所の門前では門番と安達泰盛が揉み合いになっていた。
「執権どのは病にございまする」
「ならばお見舞い申し上げねばならぬ」
「なん人なりとも会わぬ、と執権どのの仰せにございまする」
無理に入るのを止めようとすると、
「何故じゃ」
「そこまでは我等に分かりませぬ」
「ならば止め立ては無用に願いたい」
「お待ちくださりませ」
押し留めるのを、振り切るように入ろうとする。
その瞬間。
「…!」
矢が安達宗景の背中に命中した。
倒れた。
「若様、若様…!」
事切れている。
どこからかはわからないが流れ矢である。
すると。
御所の中から声を聞き付けた武者どもが十重二十重に泰盛主従を取り囲んで、
「安達どの、君命により捕縛いたす」
と呼ばわった。
「将軍が何ゆえあって捕らまえる」
「…故ありて、じゃ」
そこで頼綱にたばかられたことに気づいた。
「…ならば、是非には及ばず」
スラリと佩いていた太刀を抜いた。
間を詰める。
が、誰もが相手は鎌倉一の手練れであることを知っていた。
囲みながら誰も手を出そうとはしない。
取り巻きながら御所の白洲を進んでゆく珍妙な行列となってゆく。
御座所の白洲へ出た。
事態を聞いて馳せ参じた武者の数は増え、鎧や胴丸を着けた者すらある。
平七郎という武士が矢をつがえた。
泰盛は、
「討って功名とせよ」
といったが、気迫に圧され射ることが出来ない。
きざはしに片足をかけた。
リズミカルに登って刹那、太刀を首にあてがい、
「安達泰盛が最期を見届けよ!」
白刃を滑らせ、見事に自裁してみせたのである。
首を離れた胴体は、太刀をつかんだまま転がり落ちて白洲に横たわった。
夕刻。
永福寺下の二階堂屋敷の周りも何やら騒がしくなり始めた。
「戦支度を」
李義勇の進言に、
「鎧は着る。だが、戦はせぬ」
すなわち武装中立を宣言したのである。
「わが二階堂はどちらにもつかぬ」
この対応は、今まで白か黒かの二者択一を迫っていた頼綱に、
──活殺自在にならぬものがある。
という摂理を突き付ける結果となって、得宗家の専制が強まるなか二階堂家の存在を高める結末となった。