【完】『海の擾乱』

4 正応の大地震

四月。

式日の大評定で行藤は正式に、連署への就任が決まった。

むろん。

北条家の一門以外では初の連署である。

さらに。

政所執事代は兼任である。

同時に執事の二階堂行有の没後、政所は行藤の執事代が最高位となって、幕府の内部では二人いる連署のうち、大仏宣時を連署どの、行藤は政所判官どのと呼び分けるようになった。

その日の夕刻。

がらんとなった執権御所の大広間に、珍しく頼綱が行藤を呼び出した。

「頼綱どの、いかがなされた」

「政所判官さま、まずは連署のご就任おめでとうございまする」

判官どのを連署にと進言したのは実はそれがしでございます、と頼綱はいった。

「何ゆえに…?」

「それがしは幕府を変えるために、判官どのを連署にご推挙申し上げたのでございます」

「幕府を、変える…?」

「これまでは北条一門しかなれなかった連署に二階堂判官どのが就けば、人は幕府が変わったとまず考えましょう」

「頼綱どの、それで幕府はまことに変わると思うておるのか?」

「変わるのではなく変えるのでございます」

頼綱は座った。

「これまで鎌倉での政事は北条一門が握っておりました」

しかし、と頼綱はいう。

「かの異国との合戦よりのち、北条家一門だけではこの島国の国難は救えぬ、ということに、みなが気づき始めております」

このままでは確かに幕府は遠からず倒されてしまう。

「判官どのも、引付衆として公事(裁判)にあたっておられたゆえ、民が何を考えておるかはお分かりのはず」

行藤は楠木入道をふと思い出した。

「そこでみずからの腹をみずから裂いて病を取り除くより他なく、まず判官どのを連署にご推挙申し上げた次第にございまする」

「なるほど、一理ある」

しかし、と行藤は続け、

「よもやそなたのこと、次の手もあるのではあるまいか」

頼綱は笑みを浮かべた。

「さすがは判官どの、話が早ようございます」

そういうと、

「まずはそれがしのせがれを、将軍御所へ近侍させようかと存じまする」

これは慧眼であろう。

「その上で執権どのには、将軍におなりあそばしいただいて、幕府を作り替えるのでございます」

何とも大胆な策である。

「さすれば他のご一門とは別格となり、これまでのように他のご一門が得宗家を揺るがすこともなくなりましょう」

行藤も北条一門が血で血を洗う内紛は見苦しく感じてはいたが、そこまで変えるとは考え付きすらしなかったであろう。

ただ。

「それは他のご一門が黙ってはおるまい」

くれぐれも慎まれよ、と行藤はいった。

「かたじけのうございまする」

とのみいうと、頼綱は退出した。

「…果たしてそれは吉か凶か、何ともはかりかねる」

行藤は射してくる西陽に照らされるがままたたずんでいた。



四月十三日。

この日、行藤は連署として初めての寄合に姿をあらわした。

寄合。

執権、引付頭人、連署など幕府の首脳部が集まる枢密会議で、行藤以外は北条貞時、大仏宣時、赤橋久時など北条家一門の者だけで固められている。

いわば完全アウェイであろう。

しかも。

行藤は北条時宗といとこ同士の間柄とはいえ血の繋がりはなく、いわゆる外様御家人である。

「さ、政所判官どの、こちらへ」

導人は長崎光綱である。

「二階堂判官行藤にございます」

相変わらず派手めの直垂を着けている。

「ところで政所判官どの、貴殿は平頼綱とはどういう間柄じゃ」

訊いてきたのは赤橋久時であった。

赤橋義宗の子である。

「特に親しくはござらぬ」

頼綱どのからよく声はかけられまするが、恐らくそれがしを心安いと思うておられるのでありましょう、と答えてから、

「ただ頼綱どのは御内人、いわばマタモノ(陪臣)にございますれば、それ以上でもそれ以下でもございませぬ」

わが二階堂家は初代の行政以来代々御家人にございますれば、その垣根は越えられますまい…と行藤はいった。

「なるほど、ならばどうも一味ではなさそうじゃ」

「いったい何の嫌疑にございまするか?」

行藤の眼光が変わった。

「万が一それがしをお疑いとあらば、今は亡き先の上皇(後嵯峨上皇)さまより賜ったこの刀で、この場にて即刻首でもはねれば済む話ではございますまいか」

と、後嵯峨上皇から賜った鞘ぐるみ黄金づくりの打刀を出そうとした。

「いや待て待て、そうではない」

制止したのは大仏宣時で、

「われらは別に二階堂家を疑ってなどおらぬ」

「朝廷の信任の厚い政所判官どのを、疑うわけがなかろう」

そのはずである。

鎌倉へ戻ったときに院宣があり、

──わが父(後嵯峨上皇)もわが弟(亀山法皇)も二階堂判官には信頼を寄せている。

とあって、下手に処断すると今度は北条家が朝敵にされてしまうからであった。

それだけに。

どうも寄合の場でも二階堂家の扱いには苦慮している様子であった。

「今、頼綱には幕府転覆の容疑がかかっておる」

みずからの次男を将軍職に就かしめ、北条一門を殲滅する──という、恐るべき企みである。

「それは証が何かあったのでございますのか?」

行藤は法官らしくいつもの論理的な思考でものをいった。

「証ならばある」

証人をこれへ、と赤橋久時は命じた。

来たのは若武者である。

「これなるは頼綱が嫡男、宗綱である」

「その宗綱どのがなんとなされた」

「宗綱、申してみよ」

ひかえていた宗綱が進み出た。

「おそれながら父頼綱は、わが舎弟助宗を寵愛いたすあまり、安房守の官位を勝手に与え、将軍御所に参らせんとしておりまする」

しかも、と宗綱はいう。

「助宗は今は亡き時宗公のご落胤としてわが母が産み育てたと称し憚らず、あろうことか執権どのを排し奉らんとしております」

にわかには信じがたい話であるが、身近な者の証言ほど強いものはない。

「それゆえ関わりある者を調べておるうちに、貴殿の名が出てきたのじゃ」

大仏宣時はいった。

「ただ、貴殿は頼綱を陪臣と呼んだ。時宗公が頼みにしただけの者ではある」

そこで、といいかけたところで揺れが来た。

「…地震にございます」

ご一同、庭へ──行藤は促した。

揺れは長い。

遅れた貞時を行藤はかばいながら庭へ出た。

「行藤、大事ないか」

「執権どのはご無事にございまするか」

揺れは激しい。

「これは正嘉の時より長く揺れておりますぞ」

行藤と宣時は正嘉の大地震を知っている。

正嘉元年の大地震のとき行藤は十一歳で、父の行有が判官に叙せられる前年にあたり、所領の甲斐から鎌倉へと戻っていた時期である。

「おさまってきたか」

まだ揺れているように感じられて、目眩のように焦点が定まりづらくなっている。

「まずは炊き出しを」

行藤の言を受け入れた貞時は、即座に巡邏と炊き出しの支度を命じた。


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