【完】『海の擾乱』

5 頼綱を討て

正応の大地震は思ったより被害が深刻であった。

鎌倉ではあちこちの人家や市が倒壊し、ところどころ出火して火災となっている辻すらある。

「これだけの害が出るのはひさびさじゃな」

大仏宣時はいう。

「わしが幼き時に起きた仁治の地震もひどかったのをおぼえておるが」

その比ではない、と老練なこの連署はいった。

「…揺れてますぞ」

余震である。

「これはまだまだ落ち着くまでには至りますまい」

執権御所はあちこち御簾や蔀戸が落ちてぐしゃぐしゃになっていた。

「政所判官どの、ご無事にございまするか」

「大事ない。それよりみなは無事か」

「大事ございませぬ」

「ならばよい」

行藤は門の物見に立った。

「これはひどい」

町中が瓦礫だらけなのである。

「まずは人を助けよ」

それと寺社に炊き出しを命じよ、と指示を出した。



幕府の指示が早かったのか、翌日あたりからは早くも家を直すらしき槌音がし始めた。

「巡検に回るぞ」

李義勇と斎藤兵衛次郎をつれ、行藤は騎馬で町の視察へと向かった。

連署の仕事ではない。

が、政所執事代としては大事な職務である。

八幡宮から段葛のあたりは倒壊したままの家屋が目立ち、炊き出しの湯気が上がっているのも散見された。

浜へ来るとどうやら津波があったらしく、石の土台を残して地蔵堂がなくなっているのも見受けられる。

「地蔵堂はゆくゆく直してやらねばなるまい」

そのとき。

流れ矢が行藤の腕に命中した。

「…!」

落馬は免れたが、ともかく必死に行藤は馬の首にしがみついている。

どこから放たれたかはわからない。

「くせ者じゃーっ!」

李義勇は咄嗟に轡を反すと弓折で馬の尻を叩いた。

馬は行藤を乗せたまま段葛めがけて駆け出す。

藪から何人か武士が出る。

李義勇たちは踏みとどまって、乱戦となった。



執権御所にたどり着くと、左腕に矢が刺さったままの行藤が馬から転げ落ちた。

「政所判官どの、…かたがた、一大事にございまするぞーっ!」

御所は混乱した状態となった。

深傷であったらしく、しかし命は何とか助かった。

ただ。

問題は、幕府の重臣が狙撃された…という事実であった。

「申し訳ござらぬ」

行藤はすっかり青菜に塩を振り車で轢いたように悄気かえってしまっている。

「いや、政所判官どのが悪いのではない」

下手人を探さねばならぬ、と北条貞時はいった。

そこへ。

「政所判官どの、ご家中の方が参られました」

飛んできたのは僧となっていた四男の済有である。

「父上、ご無事にございまするか」

「見ての有り様よ」

もう行藤は笑うしかない。

「下手人は?」

「おっつけ李義勇から報せが来れば、何かわかるであろう」

済有は顔を曇らせた。

「申し上げます」

来たのは斎藤兵衛次郎である。

「下手人は飯沼どのの屋敷に逃げ込みました」

「飯沼どの…?」

頼綱の次男で、例の時宗のご落胤と名乗っている話が出た、飯沼助宗のことである。

「狙われる覚えはない」

顔すら知らないのに狙撃されるのが、行藤には理解の域を超えていた。



四月十五日。

行藤が襲撃を受けた事件を受けて、執権御所では再び寄合が行われた。

そこに行藤はいない。

「これで頼綱を討つ名分ができ申した」

今こそ討つべきである、といきんだのは赤橋久時である。

「まぁ待たれよ赤橋どの、まだ貴殿は若いのう」

物慣れた大仏宣時は、一つ案があるようで、

「ここは政所判官どのに討たしめるのが、上策かと心得まする」

毒を以て毒を制す、とことわざにもありまするゆえ──と大仏宣時はいった。

「しかし政所判官どのは、手負いにございますぞ」

「何も打ち物を取っての立ち回りばかりが、戦ではなかろう」

政所判官どののこと、きっと何かしらのことは果たしてくれるであろう、といった。



余震は続いていた。

行藤の傷はどうやら化膿せずに済み、二十日には臥床から起きられるようになった。

そこへ。

「申し上げます」

斎藤兵衛次郎が来た。

「いかがした」

「執権どの、わが二階堂家へのお渡りが触れ出されましてございます」

屋敷はにわかにざわつき始めた。

「急ぎ、支度をせよ」

突然の執権の御成に慌ただしくなった。

一刻ほど経った。

触れ出された通り、貞時が永福寺下まで行列を仕立てて、二階堂家の屋敷へ入った。

行藤は直垂姿ながら、左腕に大きな当て布を巻き、肩から吊って使えない様相である。

「政所判官どの、傷のお加減はいかがか」

「見ての通り、全く以て情けなき有り様にございまする」

行藤は叩頭した。

「その傷を負うた身で命ずるのは、まことに心苦しいのだが」

頼綱討伐の総大将をそなたといたすことが寄合で決まった、と貞時は苦し気な面持ちでいった。

「余もそなたにしか頼めぬのだ」

すまぬが受けてはくれまいか──と貞時は頭を下げ、「この通りだ」といった。

行藤は慌てて、

「執権どの、お手をお上げ下されませ」

執権に頭を下げられては、引き受けるより余地はなかったであろう。



四月二十一日、まだ完治とはいえないなか、評定に召された行藤は貞時から節刀として則宗の太刀をたまわった。

「まだ傷のいえぬそなたに頼むのは心が痛むのだが、そなたにしか頼めぬ大事な役目ゆえ、確と頼むぞ」

貞時の目は潤んでいるように行藤には見えた。

「無事にお役を果たせるよう、相つとめまする」

太刀を右腕一本で捧げ持って下がると、行藤はその足で出陣の支度に取り掛かるべく、執権御所を退出したのであった。

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