明日へのメモリー
やがて、呆然としているわたしをもう一度引き寄せると、樹さんはお屋敷を振り返った。
彼の口調が急に真剣なものに変わり、はっとする。
「お前も見ただろ? あの無駄に広すぎる屋敷……、何世代にわたる堅苦しい慣習、この国の経済を動かしているじー様や親父達の分刻みスケジュール……。俺は、ガキの頃から否応なくそんな世界を見ながら育ってきた……。息子のいなかったじー様は、俺が生まれてすぐに期待をかけ始めた。俺の周りの人間が全部、俺自身じゃなく、俺の背中の九重を見てる……。そんな毎日がたまらなく苦痛になってきて、抵抗し始めたんだ。俺は九重とは関係ないところで好きにやりたい、って言ってな」
「………」
「結局、俺は今日まで我《が》を通してきた。だから余計、ガツンときたんだ……。あの晩、お前が泣きながら、親の会社のために何とかしようとしてるのを聞いて……」
彼はまるで、自分の考えをまとめるように話していた。聞きながら、やっと少しだけ理解できてくる。
レベルは全然違うけど、この人も似たような立場だったんだ。
そして今、現実の重みをしっかりと受け止めながら、歩き出そうとしている……。
「……でも今は? もういいの?」
恐る恐る問いかける。まぁな、と答えた声に、少しだけ苦さが混じった。
「今度のことは、いいきっかけだったかもしれない。いつか戻らなきゃいけないのは、わかってたから、俺も……。ただ、重すぎる荷物を背負うのは、もうちょっと後にしたかったけど」
そこで言葉を切ると、もう一度わたしを見た。ちょっと自信のなさそうな顔になる。
「お前が傍にいてくれれば、何とかやっていけそうな気がするんだ……。美里、マジで俺と結婚してくれる?」
「……い、いいの? 本当にいいの? ……わたしなんかで?」
まだ信じられなくて、何度も確認してしまった。彼はとても優しく微笑んだ。