HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
 そして翌日の私はとてつもなく重大な任務を遂行するため、ガチガチに緊張していた。

 隣の席の清水くんは、そんな私の顔を時折覗き込んできては「大丈夫?」というように目で問う。そのたびに私は隣をキッと睨み返し、自分の心に「絶対にやってやるぞ!」と発破をかけた。

 とにかくあんな高梨さんを放っておくわけにはいかない。

 授業中、こっそり堀内くんを盗み見る。何度見ても頼りがいを感じにくい外見だ。あれで制服の下が筋肉質だったらびっくりだなと思う。でも明らかに薄い胸板からはその可能性は低いと簡単に予想された。

 堀内くんの隣では、高梨さんが今日も青白い顔をしていた。悩みを私に打ち明けたことで少しでも心が軽くなっていたらいいのだけど、実際は何の慰めにもなっていなかっただろう。

 私がほんのちょっとでも高梨さんの気持ちを理解してあげられたらよかったのに。

 でも昨日の私はただ驚いていただけ。未知の世界は想像することすら難しい。



 ――やはり綾香先生に助言を求めよう。もうそれしかない!



 こういうことは経験者に聞くのが一番いいに決まっている。……って、勝手に綾香先生を経験者と決めつけるのはどうかと思うけど、私よりは恋愛経験は豊富に違いない。

 昼休み、いつもはのんびり食べる母の手作り弁当を味わう暇もなく胃に詰め込んだ。

 ――いざ、出陣!

 気合を入れて立ち上がる。清水くんはパンを買いに行ったのか、教室内に姿が見当たらなかった。

 教育実習生の控室は家庭科室と聞いていた。目指す家庭科室は1階。学食の隣だ。私ははやる心を必死に抑え、階段を駆け下りた。

 家庭科室のドアは全開だった。私は何気なくチラッと覗きながら通り過ぎる。

 ――あれ、綾香先生らしき人影が見えないぞ?

 もしかして学食で食べているのだろうか。私は廊下の端まで行って、また引き返してきた。

 そこに突然綾香先生が出現した。

 階段を軽やかに下りてきたようだ。そして一度家庭科室に入り、すぐにまた廊下に出てきた。

 ――ちょっと待ってください! どこへ行くんですか!?

 当然のことだけど、私の心の叫びは聞こえるはずもなく、無情にも綾香先生は私に背を向けて学食のほうへ進んで行った。

「あ、あれー!?」

 学食の前で気の抜けた綾香先生の声がする。

 私は廊下の途中で立ち止まった。可憐な容姿に似合わないポーズをした先生に釘付けになってしまったのだ。

「え、なんで開かないの!?」

 学食のドアが開かないらしい。綾香先生は腕を広げてドアに張り付くような姿勢で「フン!」と力を込めた。見ている私まで手に汗を握る光景だ。

 しかし強情なドアはびくともしなかった。



「先生、何やってんの?」



 男子の声で綾香先生は振り向いた。そして親しげに微笑む。私の心がドキンと跳ねた。

「ドアが開かないの。なんで?」

「こっちは開かないんだよ」

 ガラガラと音を立てて反対側のドアがいとも簡単に開く。

 そしてドアを開けた男子は「どうぞ」とばかりに手のひらを上に向けて先生を中へ促した。流れるような優美でうやうやしい動作に私は思わず見入ってしまう。

「うわー! ありがとう。初めて知ったよ」

「……ていうか、先生、お昼は学食で食べるの?」

「違う。お弁当持ってきたんだけど箸が入ってなかったんだー! だから割り箸もらいに来ちゃった」

「へぇ。つーか、先生の『よっこらしょ』みたいな格好、見たくないけど」

「じゃあもっと早く教えてよ」

「そんな無茶言わないでよ。俺も今、通りかかったんだし」

 私は廊下に点在する凸型の柱の影に身を隠していた。だけど気になってチラチラと首を伸ばして学食前の様子を探る。

「ありがとう、清水くん」

「どういたしまして。授業頑張って」

 綾香先生が嬉しそうに笑ったのが柱の影からでもよく見えた。そして清水くんの足音が階段のほうへ消える。

 私は綾香先生が家庭科室へ戻ってくる前に回れ右をして、とぼとぼと廊下を進んだ。これからお弁当を食べる先生の邪魔はできない。それにあんな光景を見た直後に、いくらクラスメイトの話とはいえ恋愛相談なんかできそうになかった。

 急に胃の辺りがムカムカしてきた。弁当を急いで食べたのが敗因か。

 普段、人通りが少ないほうの階段をゆっくり上がった。教室に戻るのも気が重い。

 なんだろう、この惨めな気持ち。

 高梨さんが泣きながらトイレに駆け込んできたのも、今ならわかる気がする。

 だって、私も泣きたいような気分の一歩手前だったから――。
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